Yahoo Blog 『ぬくーい話』 2015年過去ログ

わが街のトップニュース
2015/12/25(金) 午後 5:48
年末恒例の『わが街のトップニュース』です。
(南砺市)
観光列車『べるもんた』が高岡、城端と高岡、氷見を走り始め、なかなか予約が取れないほど人気です。観光課の話では、「殆んどののお客さんは、途中下車せず始発から終点まで乗られます。おかげさまで城端駅の臨時売店は凄い売り上げです。また、日曜日には『めるもんた』が停車する城端駅には、カップルや家族連れが写真をとるために沢山こられます。 今後の課題は、氷見線約40分、城端線は約60分で終点です。乗車時間が短いため『ほろ酔いセット』『富山湾寿司』を楽しめないと聞いています。また、氷見線と城端線を一本にして、氷見、高岡、城端を繋げば氷見線の富山湾と3000メートル級の北アルプスの絶景と、砺波平野ののどかな散居村、世界遺産の五箇山が世界で唯一の観光列車になり、外国人の人にも泣いて喜んでいただけると思います。一日も早く実現してください」
(砺波市)農家レストラン『大門(おおかど)』3月7日オープン『大門』さんは、砺波市のポスターに使われた代表的なアズマ建ちの古民家を改修して、農家レストランになりました。『大門』の料理は、砺波の伝承料理を中心にした、魚、肉をまったく使わない精進料理です。精進料理に合わせて、食器は全て真っ赤な輪島塗です。支配人の松田さんは「輪島塗のお椀を使っているため、お客さんはビックリ感動されますが、洗剤が使えず、ガーゼでやさしく拭かなければならず大変です。またチョットお椀が欠けて輪島に修理に出すと数千円が飛びます。しかし、お客様は非常に満足して帰られますのが励みで今月1万人を達成しました」
(小矢部市)
三井アウトレットパーク北陸小矢部オープン
小矢部市をこれほど有名にしたものは今まで有っただろうか、私は知らない。名古屋でも、新潟でも、滋賀でも「小矢部です」と言っただけで「アウトレットの小矢部ですね」と言われます。特に女性は100パーセントアウトレット小矢部はご存知です。小矢部市では「なぁーん変わらんちゃ」と言う商売屋さんもありますが、飲食店、ガソリンスタンド、日帰り温泉、などに県外ナンバーが良く見られるようになり忙しい。また、減少が著しかった人口がプラスになりアパート、マンションが足りませんし、北陸最大級のクロスランドのイルミネーションも恋人の聖地と共に賑わっています。小矢部市の開業助成金は例年5件くらいでしたが今年は19件になりました。他のアウトレットの街は開店から4、5年で変化が現れるそうですが、小矢部では5ヶ月でこの変化です。今後が楽しみです。

(南砺市)(砺波市)(小矢部市)は観光に光を観つけて益々繁栄される事を祈りながら今年の放送は終了です。来年は、猿もざるもそしてパンツを履いた猿もよろしく。

観光列車『べるもんた』
2015/12/17(木) 午後 8:12
今日、初雪が降りました。
私の友人は「春、夏、秋、冬の四季で初雪だけが一日でハッキリ冬を教えてくれる。」と、言います。
他の季節はダラダラと変わっていきますが、初雪が降った朝は一面真っ白の水墨画の世界になります。
こんな劇的な変化は初雪だけだと思います。

今週は、そんな変化が堪能できる観光列車『べるもんた』に乗りました。
『べるもんた』は散居村の砺波平野を高岡から城端まで走る城端線ルートと、
ゼロメートルの海岸から3000メートルの山々が連なる北アルプスが見える氷見線ルートがあります。
氷見線ルートは、最も予約が取れないルートとして有名です。
私は、12月13日城端線ルートに乗りました。高岡から城端行きは満席で城端から高岡行きに乗車しました。
高岡から普通の城端線に乗りましたが、その列車の揺れが今まで経験した事のない揺れでした。
途中数箇所で7センチは飛び上がるほどのバウンドがあり、カップコーヒーは全部体に掛かる位でした。
私は、『都会の揺れの少ない電車に乗っている人にはこの揺れこそ売りになるのでは』と強く思いました。

城端駅に着くと、城端観光協会の一日だけの売店があり、かなりの売り上げがあるそうです。
いよいよ10時32分発の『べるもんた』に乗車しました。
『べるもんた』はフランス語のベル(美しい)、モンタニュー(山)、エ・メール(海)、(美しい山海)の意味で、
『べるもんた』になりました。
列車はモスグリーンの落ち着いた色で室内は井波彫刻がふんだんに取り入れられています。
窓は大きく額縁のデザインで『動く絵画』のイメージで作られていました。その額縁から観た景色は、柿を獲ろうと竿を操っている老人、雪だるまを作り手を振る家族、自転車で列車を追いかける高校生等、実にほほえましく、『ほっこり』する風景でした。
私は、4人掛けに座り「どちらから? 」と質問すると「福井から」「愛知から」「えぇー愛知ですか、凄いですね」「あなたは?」と向かいの人に聞くと「スイマセン高岡です」と言われ各地からの人が乗っていると思いました。
約50分の乗車時間を、愛知の『乗り鉄』さんの話や福井の新幹線ルートの話など楽しいひと時でした。

城端線の『べるもんた』は風景も人も常に華がある『常華線』でした。
あなたも是非生まれて始めて体験するバウンドする列車と散居村の『ほっこり』する風景をお楽しみ下さい。

酸素は嫌い『極限環境微生物』
2015/12/11(金) 午後 4:33
ノーベル賞受賞者の大村 智 博士は「微生物とスタッフのおかげです」と言われました。
そこで今日は、極限環境の中でも元気ハツラツに生きている微生物を紹介します。

例えば、ぐらぐら煮えたぎる温泉の元湯で生きる生物、水深1万メートルの海底に住む生物(水深1万メートルの水圧は1トンになります。これは指先の所に普通車が乗る水圧です)強酸強アルカリでも物ともせず生きる生物、放射線がバンバン飛び交う中でも平気な生物、究極は酸素のない所で子孫増やし生活する微生物です。
そもそも、微生物にとって私たち人間、動物、魚、が好酸素生物で特殊です。
それは、地球の誕生に由来します。地球が誕生したのは今から38億年前です。その後10から15億年はまったく酸素のない世界でしたが、酸素を必要としない環境嫌気菌の微生物の世界でした。その後、シアノバクテリアが太陽の光で光合成を始め酸素を放出します。酸素が蓄積してくると、酸素に耐える生物が増えてきました。しかしその間でも地球の赤道まで凍る『アイスボール』を3回経験します。そのつど殆んどの微生物は死に絶えましたが、寒い所が好きな好冷菌が生き残りそこからまた始まりました。

酸素がなく高温低温が繰り返され放射線がバンバン飛び交う場所は?
それは、宇宙です。はやぶさ2号は小惑星りゅうぐうを目指して飛行しています。
小惑星りゅうぐうから埃、土を持ち帰り、もしかして水分があれば極限微生物の可能性があります。それよりも私が羨ましいと思うのは、地球の重力を利用して『スイングバイ』してスピードアップし軌道に乗せて飛行する事です。
中高年の私も『スイングバイ』してスピードアップして飛び立ちたい。
しかし、私は計算違いで『スイングバイバイ』で軌道をはずれ宇宙の彼方かも。

源泉100パーセントかけ流しの温泉旅館は1パーセント!!
2015/12/4(金) 午後 4:51
今日は、師走の4日です。
年取ると、一年は本当に早く過ぎていきます。
「関澤さんはいくつですか?」「毎年変わるから分からなくなりました」と言っています。

今年一年の、良い事も悪い事も洗い流そうと思い、奥飛騨温泉郷に出かけてきました。
そこで『100パーセント源泉かけ流し』を維持するために温泉の人は大変な苦労されている事を聞きました。
関澤  「あなたは、源泉から63度の温泉が出ていると適温42度にするためにどうしますか?」
小林アナ「それは水でしょう」
関澤  「殆んどの人は水と答えると思います。水を入れると温泉の効能はなくなります。他には?」
小林アナ「空気に当てて冷ます」
関澤  「温泉は空気に触れると時間と共に酸化し、効能はなくなります。他には?」
小林アナ「もう分かりません」
関澤  「温泉をパイプに流しそのパイプを水で冷やしたりしますが中々温度は下がりません。先日訪れた新穂高温泉『深山荘』では、28度の温泉とブレンドして適温にしているそうです。しかし、室内風呂、露天風呂、夏場、冬場により適温が変わります。また、源泉の温度も変わりますから大変です」
小林アナ「まったく知りませんでした」
関澤  「私が取材に行きました『深山荘』は、フロントの横に奥飛騨温泉組合の100パーセント源泉かけ流しの認定証が貼ってありました。そこには、『加水 無』『加温 無』『循環 無』『入浴剤 無』『特定成分の除去 無』『消毒 有』と書かれていました」 
小林アナ「温泉には入られたのですか」
関澤  「もちろんです。『深山荘』は新穂高ロープウェイ乗り場の近くで、つり橋のかじか橋を揺られながら 渡ります。露天風呂は4個あり浦田川の川岸まであり夏場はそのまま川に入れます。露天風呂から見える北アルプスの山々、紅葉、そしてつり橋と源泉かけ流し。本当に幸福でした。全国に約1万4000軒の温泉旅館がありますが、厳密な『源泉100パーセントかけ流し』は、1パーセントしかないそうです。(環境省)
小林アナ「何故そんなに『源泉100パーセントかけ流し』にこだわるのですか?」
関澤  「温泉の効能が全然違います。温泉は『生もの』と言われるくらい時間の経過とともに劣化します」
小林アナ「私たちも『生もの』ですから劣化しないように温泉に入りましょう」
関澤  「『源泉100パーセントかけ流し』で年も嫌な事も洗い流し良い年を迎えましょう」

日本のベニスの安いお宿
2015/11/27(金) 午後 8:27
北陸新幹線が開通して8ヶ月です。
私の周りでも、歌舞伎座、東京モーターショー、美術展へそれぞれ気軽に行って来た人がいます。
本当に関東地方が身近になりました。
関東の人から見ると『北陸は今まで遠い場所でしたが、新幹線が開通して大きな風穴が開き、北陸の風が吹いてきた感覚です』と言われるように北陸ブームです。
そのため北陸ではホテル、旅館の予約が中々取れない状態が続いています。
そこで、家の一棟貸しや民泊等が利用されています。

日本のベニスの富山県新湊では、9年前から空き家を利用して安い宿泊施設にしていると聞き取材に行きまた。
4棟ある宿泊施設は『NPO法人 水辺のまち 新湊』が管理していました。
案内パンフレット見てビックリ!!なんと一人一泊1000円!!
「安い!!本当ですか?」
代表理事の二口さんは「この施設の始まりは、漁業の後継者と定住者促進を目的として始まった事業です。
分かりやすく言えば、漁師や技術者になる体験をしてもらい安い宿に泊まりそこから通ってもらうのが狙いです」
「成果は?」
「9年間で27人が定住して、その内の20人が漁師になりました。年間宿泊者数は、延べで約1000人です」
「宿泊施設を見せてもらえますか?」
二口さんは「歩きますか?」と二人で磯の香りが快く鼻をくすぐる『日本のベニス』の内川沿いを歩きました。
内川沿いには沢山の漁船が係留されていました。
「この辺りは、昭和30年代は人口密度が日本で一番でした。それはそれは賑やかで内川沿いの漁船も2列に係留されていました。家は漁師の家のため小さく安い家が多くありました。年数と共に漁師が減り、空き家が増えてきたため『体験施設』になりました」
5分ほど歩くと『ほうじょう』と『さんのう』さんがありました。
私は思わず「えっここですか?」と聞きました。
最近マスコミで紹介されている,古民家再生の小奇麗な宿を想像していましたが,
それはトタン壁がサビた『古いただの民家』だったからです。
「一泊1000円の内500円は家の持ち主に返金するためこんな状態です」
「中を見せてもらいますか?」
「鍵は持って来ましたが連泊のため借主がいないと開けられないです」と申し訳なさそうに言われなした。
「もう一軒『あずま』に行きましょう」と歩きました。途中二口さんは「元旦に天気がいいと内川の橋の上にいると剣岳の頂上から初日の出を見る事が出来ます」と紹介されました。
『あずま』は漁船が並ぶ内川の淵にあり、深夜や早朝にはいさり火を焚いた漁場に向かう漁船を見る事出来る、漁師には日常で、見る人には非日常を体験できる宿です。
しかし、ここも中を見る事出来ませんでした。

新湊は富山湾の宝石『白えび』があり、今は『紅ズワイ蟹』、そしてこれからは『ブリ』です。あなたも、富山湾のような深くミステリーで美味しい日本のベニスにお出かけ下さい。『水辺のまち 新湊』 電話 0766-82-2668

五郎丸は平安時代から有名だった
2015/11/20(金) 午後 8:16
ラグビー日本代表の、五郎丸歩さんは人気絶頂の有名人です。
富山県小矢部市五郎丸は、平安時代から有名でした。
そこで今週のスタジオゲストは、元五郎丸地区区長の、川原俊昭さんでした。

小林アナ「今、人気絶頂の五郎丸からようこそ。関澤さんとの関係は?」
関澤  「幼馴染です。私も五郎丸生まれでよく遊びました」
小林アナ「五郎丸はどんな所ですか?」
川原さん「富山県小矢部市の国道359号線の中山間地にあります。五郎丸と言う地名は、全国に19箇所ありますがその内富山県に4箇所あり全国最多です。小矢部市五郎丸には、五郎丸八幡宮、五郎丸川など縄文時代から人が途切れることなく住み続けています。また、五郎丸出身の銘菓『薄氷』の五郎丸屋さんや名前が五郎丸の五郎丸歯科さんなどがあります」
小林アナ「平安時代から五郎丸は有名だったと聞きましたが?」
川原さん「五郎丸は麻布の産地で、『五郎丸布』、隣部落の『八講布』として都に上納されていました。非常に品質が良く都でも重宝がられました。江戸時代になり加賀藩は『五郎丸』のブランド名で京都や江戸へ販売されました。産地は、五郎丸、八講田では足りず近郷に広がっていきました。 先日、高岡市で伝統工芸展があり、麻布を織っていた女性に『五郎丸布を知っていますか?』と聞くと『ええ良く知っています。麻布を織っている人で知らない人はいないと思います』と言われました。
小林アナ「その五郎丸布は見る事は出来ますか?」
川原さん「いろいろ探していますがまだ見つかっていません」
関澤  「小矢部市は、東大寺や都の荘園があった所だから案外東大寺や都にあるかも。誰か教えてください」
小林アナ「今後、『五郎丸布』の復活があれば素晴らしいですね」
川原さん「先ず麻の栽培から始めてその間に『五郎丸布』を探します」
関澤  「五郎丸選手のユニホームに織り込まれたら最高ですね。それに向けて皆で『トライ!!』しましょう」(笑い)

三井アウトレットパーク多摩南大沢視察研修会
2015/11/13(金) 午後 8:23
11月10日、11日、商工会の視察研修に行って来ました。

10日の昼食は、山梨名物の『ほうとう』でした。
きしめんの様な太麺にかぼちゃ、里芋、じゃがいも、大根、しいたけ等
野菜たっぷりで肉や魚はまったくなく、味噌味で鍋にいっぱい入り出てきました。
野菜が大きく、芋系が多いため何時も完食の私でも食べ切れませんでした。
(参加者のほとんど残す)

11日の朝は、リニア新幹線の504キロのスピードを見て、あまりにも早くカメラに撮る事が出来ませんでした。2027年に東京から名古屋まで40分で走るそうです。
名古屋までも東京の通勤圏内になり劇的な変化すると思いました。

その後、研修会の目的の『三井アウトレットパーク多摩南大沢』へ行きました。
「今さらアウトレット?」と思われるかも知りませんが理由があります。
小矢部にアウトレットができる事が決まってから商工会は、北海道北広島、竜王、土岐、軽井沢などの商工会を訪れ、アウトレットと地元商工会との様々な共同イベントや事業を質問しました。
いずれの商工会も「商売はまったく関係ありません。また完成させるまでは『地元と共に発展』と言いながら開店してしまうと疎遠です」と言われました。
小矢部市商工会の幹部と小矢部アウトレットの幹部との意見交換会の時その話をして
「三井のアウトレットパークの中で地元商店街と上手くいっている所を紹介して欲しい」と
私の質問に「それは、多摩南大沢です約15年間続いています」と小矢部の所長の話があり今回訪問しました。

三井アウトレットパーク多摩南大沢店は、京王線多摩南大沢駅から続く幅やく30メートルの歩行者専用道路が丘の上まで続き、丘の上には都立大学がありました。
八王子市は80年前は約20軒が点在する山奥の山村でしたが、コンパクトな街を目指し山を崩しマンション、病院、学校、役所、図書館、駅などを計画通り配置され今は人口60万人の街です。その歩行者専用道路で毎月イベントや共同事業をしているのが『元気な街』のメンバーです。
メンバーの中には、銀行、大学、病院、京王電鉄、 アウトレット、一般商店などで構成されていました。会長の淡路さんは「小矢部のアウトレットの所長の仲窪さんは多摩南大沢で一緒に汗をかいた人だから街との連携は間違いないですよ」と言われました。
私は、12日の朝早速、小矢部のアウトレットの中窪さんに「あなたの言われていた多摩南大沢に行って来て会長さんからあなたの事をイロイロ聞きました」と言うと「会長に会われたのですか懐かしいなァー
小矢部のアウトレットも3ヶ月が過ぎ落ち着いてきましたから、今後地元商工会とイロイロ話あって共に発展できるように頑張りましょう。一度ゆっくり話がしたいですね」と嬉しい言葉を頂きました。
今後、共同イベントや共同事業をすすめお互いウインウインの関係になればと思います。

新方式灰(バイ)オマストイレ
2015/11/6(金) 午後 8:55
あなたは、登山されますか?
ご来光を観て思わず手を合わせる素晴らしさや、苦労して頂上に立った時の達成感など、
登山の魅力だと思います。
しかし、殆んどの登山者の不満は何でしょう?それは「トイレだ!!」と言います。
私も山登りをしますが、臭い、汚いはあたりまえで、『オツリ』がぺチャンと当たったり、
お尻を拭いた紙を紙袋に入れたり、究極は拭いた紙を『お持ち帰り』です。
100名山を達成した女性は、「たとえ世界遺産に登録されているような山でもトイレがない山もありました」

最近は、バイオトイレが少しずつ増えています。
しかし、処理能力や臭い問題がありました。
今日紹介する新しい方式のバイオトイレは、処理能力は大幅アップし、臭いは殆んどしません。
そんな新しいトイレが富山県南砺市立野ヶ原わくわく農園に、完成して1ヶ月使用されたと聞き取材に行きました。
そのバイオトイレは、わくわく農園の休憩所の横にありました。
トイレのドアを開けると、中の広さは普通の広さでしたが横に大きな水がめがあり、ヒシャクが置いてありました。
『水で流す?』と思いながら木のふたを開けると灰が入れてありました。
「大も小も終わったら上からこの灰を掛けるだけで、臭いはまったくしません。観光農園のため一日100人ぐらい使う事もありますがまったく問題ありません。女性や子供たちに非常に喜ばれています」と経営者の吉田 実さんの喜びの言葉でした。
私は、このトイレを制作された田中 利行さんにも聞きました。
「このトイレは、縦横120センチ、深さ80センチのコンクリートの枡に、木屑オガクズを20センチ敷き詰め上からたっぷり灰を入れました。
灰のため吸水性がよく、臭いはまったくしません」
私はチョット意地悪な質問をしました「これから寒くなると微生物の働きが弱くない処理能力が落ちるのでは?」
田中さんは「微生物には、寒さを好む物もいます。北欧のツンドラ地帯や南極基地でも十分使えるバイオトイレもありますから心配要りません」
「いくらぐらいで出来ますか?」「一基だいたい50万円ぐらいです。
水も電気もいらないのでランニングコストは0円です」

私は田中さんに「灰を使ったトイレだから本当の灰(バイ)オマストイレだから、分かりやすく『灰オマストイレ』で売り出せば爆発的に売れるかも」と提案すると「バイオは、バイオテクノロジーですからーー」とすんなりオチを断わられました。
しかし、新方式の灰のトイレは素晴らしいので全国の山小屋に一日も早く設置される事を願います。

竹筆の不思議
2015/10/30(金) 午後 5:05
関澤  「10月29日は今年の年賀状の発売日です。あなたの年賀状は、メール?パソコン印刷?、版画?それとも手書きですか?最近は、メール、パソコン印刷が主流になり、版画や手書きは殆んど見なくなりました。そんな中で、私は一枚一枚毛筆で書いていますから『竹筆』の話を聞き、皆さんに紹介します」
小林アナ「関澤さんからの年賀状は毎年『毛筆』で面白い年賀状をいただきます」
関澤  「皆さん『楽しみにしています』と聞くと、今更印刷には出来ず書き続けるつもりです」
小林アナ「今日のゲストは、金沢市から来ていただいた『金沢竹筆の里』を経営されている岩下 信正さんです。『竹筆』は今日初めて知りました。ちょっと書かせてもらっていいですか?」
岩下  「どうぞどうぞ、書いてもらうために持ってきましたから。『竹筆』の特徴は墨の持ちが『毛筆』の約2倍で最後まで書ききれるため最後のカスレが『毛筆』には出ない味があります」
小林アナ「感覚的にはチョット固めですがドンドン書けますね。凄いすごいまだまだ書けます。この筆は誰が作られた筆ですか?」
岩下  「私が20年ほど前に能登の師匠に会い『竹筆』の魅力の虜になりました。師匠が高齢のため私が弟子入りして製法を学び作り始め、今は自分一人で制作しています」
小林アナ「何時ごろ日本に伝えられたのですか?」
岩下  「『竹筆』の発祥は中国です。『毛筆』が出始めると動物の毛は簡単に大量に作れるためしだいに廃れていきました。日本に伝えたのは弘法太子が他の僧2人とともに持ち帰ったと言われております。皇室では命名の字は『竹筆』で書かれます」
小林アナ「この細い繊維質を出すためにどれくらいの時間とどんな作業がありますか?
関澤  「腐らせて叩くとか?」
岩下  「叩きすぎると大事な繊維がつぶれます。お湯に付けたりやさしく叩いたり約6ヶ月かかります」
小林アナ「えー6ヶ月ですか」
岩下  「何本も同時進行ですから大丈夫です」
小林アナ「岩下の他に弟子はいらっしゃるのですか?」
岩下  「誰もいません。私一人で制作しています。募集中です」
小林アナ「この立派な筆はいくらですか?」
岩下  「その筆は鹿児島産の竹を使っていますから、3万円ですが一本500円からあります」
小林アナ「来年の関澤さんの年賀状は『竹筆』で書かれた物ですね」
関澤  「松、竹、梅のメデタイ竹ですから含蓄(ガン竹)のある年賀状にしたいと思っています」
小林アナ「久々の好いオチデシタ」(笑い)

九頭竜湖の紅葉とあまごの宿
2015/10/22(木) 午後 7:34
秋といえば、芸術、読書、紅葉、食欲など沢山ありますが、
今日は『紅葉』と『食欲』の秋両方楽しめるスポットを紹介します。

福井県で代表的な紅葉スポットは、九頭竜湖だと思います。
赤、黄、緑、オレンジ、空と湖面のブルーなど世界的なアーテストでも描けない作品です。
特に九頭竜湖の中央にある『夢のかけ橋』から観る紅葉はこの世のものとは思えない景色です。
10月24日25日、九頭竜紅葉祭りが開催されますから目と心の栄養になりますからお出かけ下さい。

九頭竜湖の紅葉の後は、食欲の秋で全国でも珍しい勝山市の『あまごの宿』を紹介します。
あまごをご存じない人のために簡単に紹介します。
渓流には、一番上流で生きているのが『岩魚』でその下流が『山女(やまめ)』でその下流が『あまご』が生きています。
あまごには、赤い斑点のパーマークが有り『渓流の女王』と言われております。
『あまごの宿』では約30万匹養殖しているため様々のサイズのあまごを年中食べる事ができます。小さい物は『おどり』、小ぶりなものは『塩焼き』(頭からガブリと食べられます)、その他薄いピンクの刺身、姿寿司、最後は『骨酒』が楽しめます。
そして、この時期だけ食べる事ができる『あまたま丼』があります。
この丼は、あまごの玉子を集めて丼の上にたっぷり乗せたものです。
あまごは、9月から11月が産卵期のためこの時期しか食べられませんが、
しかも一杯わずか500円の驚きの価格です。

「毎日、毎日、朝から晩まで『あまご』の世話をしています。やっぱり渓流の女王だと思います。
是非皆さんに十分味わってください」と経営者の北川さん夫婦の言葉。

土日休日は、非常に込み合っていますので一度問い合わせされる事をおすすめします。
電話番号(0779)88-5398です。
「北日本放送を聞いて来た」と奥さんに言うと一皿増えるかも。

『馳 浩 』文部科学大臣の少年時代
2015/10/16(金) 午後 8:28
小矢部市に初の大臣が誕生しました。

その人は、小矢部市興法寺生まれの『馳 浩』さんです。
馳さんは、1961年5月5日に川辺夫婦の3人男兄弟の3男坊として生まれました。
小学校3年の春、金沢市の川辺家の親戚で子持たずの馳家に養子に入りました。
その後、小学校から中学校卒業の後、星陵高校に入りレスリングで国体で優勝します。
その実績で専修大学のレスリング部主将を務めるかたわら、高校教員免許(国語・書道)を取得。
母校星陵高校で国語の教員となり、84年ロス五輪アマレス グレコローマン90キロに出場。
その後、長州力率いるジャパンプロレスに入りプロレスラーに転進。
95年、参議院議員に当選、その後衆議院議員となる。
2005年、文部科学副大臣、2015年、文部科学大臣。

馳さんの幼友達に少年時代の思い出を語っていただきました。
女の子達は「とにかく腕白で暴力的で怖かった」
「いつも浩君を見つけると『ひろしが来たーー』と逃げていました」
「金沢へ転校すると聞いて『良かった』とほっとしました」
元気で腕白で野山を走り回っている姿が浮かび上がってきます。
それが金沢へ養子に入ってから変わります。
地区の皆さんがもれなく言われたのは「金沢からよく遊びに来ていたなぁー。夕方になると慌てて走って帰って行ったなぁー。よっぽど寂しかったのだろうと思う」
私は、興法寺から金沢市までの距離を測って見ました。なんと約23キロありました。
今の国道359号線は道も広くアスワルトで快適です。しかしその当時の道は狭く曲がりくねり、木が生い茂り昼でも暗く砂利道でした。
そんな道を、約3-4時間かけて来て3-4時間かけて帰っていった。
『帰りたくないけど両方の親の事を考えると帰らなければー』と小さな馳君の心の思いを考えると、堪らない思いになります。
「高校生になっていても走って帰ってきていた。その時はレスレングをしていたので
『トレーニングで走って来た』と言っていました。幼馴染が集まって話をしていても腹筋運動をしたり、腕立て伏せをしたり忙しい『人が話をしている時はちゃんと聞け』と言うと『トレーニング』と言ってみんなレスレング技で締め上げられました」と楽しそうに思い出を語る男友達。

人間、様々な苦難や苦労があります。それを一つ一つ乗り越えていくのが人生です。
馳さんも辛い少年時代が現在の姿を作っていると思います。
そこらへんの、2世3世の議員に負けないで頑張って欲しいと願っています。

ベンチャーズと白馬ジュニアドラムスクール
2015/10/9(金) 午後 4:22
20014年11月22日に何があったか覚えていますか?
私も忘れていましたが皆さんも忘れていると思います。
それは、白馬、小谷で震度6弱の地震があった日です。
約50棟の全半壊、約40名の重軽傷で奇跡的に死者はありませんでした。
地震直後、沢山の人が建物の下敷きになっていましたが、村民が総がかりで
助け出した結果です。現在でも約20世帯の人が仮設住宅暮らしです。

白馬、小谷震災の被害者の人たちを元気付けようと、高岡出身のペンション経営の新田みのぶさんが中心になって『白馬・小谷震災復興支援コンサート』が開催されました。

『白馬・小谷震災復興支援コンサート』は10月5日午後7時より白馬村のウイング21文かホールで伝説のエレキバンド、ベンチャーズのノーキ・エドワーズさんとエルカミーノ・スペシャルの演奏でした。
ノーキさんは、今年80歳で演奏は椅子に腰掛けたままで、激しい曲は指の動きはいまいちでしたが、京都慕情や京都の恋のようなスローな曲は感動的で、50年前の残像が浮かび上がってきました。
前座に白馬ジュニアドラムスクールの生徒5人とノーキさんとの共演でした。
ノーキさんとジュニアドラムスクールとの年齢差は約70年、ベンチャーズ曲の偉大さを感じました。白馬ジュニアドラムスクールのメンバーは、小学2年生から中1年生の女の子4人男の子1一人で、金沢や名古屋、東京などへ演奏に出かける実力があります。

10月7日、新田さんはチャリティー資金を白馬村に届けられました。
「最初計画した時は、赤字覚悟でしたが約400人も来場いただき、スポンサーも64件も集まり黒字になりお金を届ける事ができました。高岡の財産を全て処分して白馬でペンション経営して30年白馬村の人たちに世話になり、少しは恩返しが出来たかなぁーと思っています」

コンサートの後、新田さんのペンションにメンバーが集まり打ち上げをしました。
お酒はもちろん白馬(ホワイトホース)かと思いましたが、普通の缶ビールとワインでした。

第22回全国女性消防操法大会に小矢部市女性消防隊出場
2015/10/2(金) 午後 4:19
10月15日、横浜市で第22回女性消防操法大会に富山県代表で
小矢部市女性消防隊が出場します。
今週のスタジオゲストは、隊長の嶋田幸恵さんでした。

小林アナ「富山県大会で優勝されて出場されるのですか?」
嶋田さん「県大会は有りません。3年に一度、女性全国大会があり、呉東と呉西交互に出場していますが、今年は小矢部市が当たりました」
小林アナ「小矢部市女性消防隊はどんなメンバーですか?」
嶋田さん「小矢部市女性分団から選抜した7人のチームです」
小林アナ「操法大会はどんな事を争うのですか?」
嶋田さん「女性らしく『魅せる消防』がメーンでタイムも重要ですが女性らしさも採点されます」
関澤  「女性らしさとはどんな事ですか?まさか化粧まで審査されないでしょう?」
嶋田さん「服装や動作や発声などです。操法は、小型ポンプからホースを繋ぎ放水して水の入ったビーチボールを2個落します。途中のホースが曲がっていたり、ポンプの水圧により落す時間がまったく違ってきます」
小林アナ「放水の先端は相当水圧があり危険ではありませんか?」
嶋田さん「女性用はホースは男性用より細く、水圧も低いです」
関澤  「しかし、体力がないと危ないですね」
嶋田さん「ですから私は、何もさせてもらえず声かけだけです」(笑い)
小林アナ「大会に対する意気込みは?」
嶋田さん「県知事は、消防庁出身ですし先日も壮行会に出席して頂きました。皆さんの期待も大きくプレッシャも大きいですが頑張り、3位以内を目指したいです」
関澤  「小矢部市には全国で唯一の『消防神社』がありますから大丈夫ですよ」
嶋田さん「ありがとうございます。いい報告が出来るように頑張ってきます」

たぶん世界初『商店主アート展』まちなか芸術祭報告
2015/9/25(金) 午後 2:34
小矢部アウトレットに来られたお客さんを、街なかに呼び込むためために、
商店主が考え制作した作品を自分の店に展示する『おやべまちなか芸術祭』が終わりました。

来場者は、主催者発表2万人、警察発表4000人でした(実際はどちらも発表していません)実態は、カップルや家族連れ等が楽しそうに、ゆっくり作品やクラフト作品を鑑賞されていました。関西風に言うと「ぼちぼちでんなぁー」でした。
しかし、商店主達の驚くほどの変化を感じました。
約2ヶ月前に各商店主にアート作品を自分で考えて制作して欲しいとお願いした時は、
「自分は今まで美術や芸術とは無縁の人生だから無理」と言われたり「又来られました顔見たくないです」とまで言われました。
それが、開催日が近づいて来ると商店主の皆さんの目の色が変わってきました。
「毎日夫婦喧嘩しながら制作している。会話のない夫婦がこんな話したのは久しぶり」と言う人や、「何回も作り変えたか分からない。寝ていないんだよ」
究極は「参加しないと言っていたけど回りに刺激されて作品作った」と前日に三店も飛び入り参加がありました。

いくつかの作品を紹介すると、『食べるアート作品』の西村屋さんや、古着を解体して暖簾を作り店の前に洗濯おばあさんの案山子のいる六谷クリーニング屋さんや、和菓子の五郎丸屋さんは様々な菓子の型を展示されていました。その他36店舗の皆さんの力作で『一生懸命』さが感じられる作品群でした。
そして、一番の変化は商店主の人たちが笑顔で楽しくお客さんや隣近所の商店主と対話されている事でした。
「今年はよく分からなかったけど来年は頑張ります」「終わったら淋しくなりボーっとしています」と言われ、ある商店主は「いくら招き猫を飾ってもお客は来ません。商店主自らが招き猫になり努力すればお客さんは来られる事がよく分かった」とつぶやいておられました。

昨日、挨拶状とアンケートと制作費を持って商店を回ると「開店以来最高の売り上げでした」のレストランや、「こんな時こそ名物の『どじょうの蒲焼』を売りたかったけれど、どじょうが入荷せず蒲鉾を売りました」など嬉しい悲鳴も聞けました。本当にやって好かったと思いました。

全ての関係者皆さんご苦労さんでした。そしてありがとうございました。

ロボットの進化とあなたの仕事
2015/9/18(金) 午後 5:43
最近、私は株でマイナスが大きくなりました。
去年は少しプラスでしたが、そんな少しのプラスは何処にすっ飛んでで行きました。
「何故こんな事に?」と証券会社の人に聞くと「コンピューター取引が約7割になり、秒単位、ミリ秒単位でコンピューターが自己判断で取引をしています。だから値動きが激しく、儲けられませんよ」と言われ納得しました。
しかし、コンピューターの進化は凄いスピードです。
私の友人の農機具屋は「農機具の進化も凄いよ。大きな田んぼを面として捉え、トラクターで刈り取りした時に部分部分の出来をデーター化して、次の年の田植えの時に肥料を加減しながら田植え機が自動的に肥料と苗を植えて行く。もちろん各機械は自動運転で運転手はいなくともいいのですが、法的に問題あり完全無人化にはなっていません」
また、最近のコールセンターでは、電話を掛けた人の声の質や、話し方、スピード等から、
人間の性格を感情型、思考型、行動型、反省型、意見型、反抗型の6タイプに分けて
担当部所に振り分けを全てコンピューターが自己判断して行うようになると時間が半分に
なったと言われています。半分の人は仕事を失いました。
ハウステンボスのフロントにはロボットの受付譲がいます。
顔認識が素晴らしく「ようこそ関澤様、前は2013年3月11日午後4時12分にチェクインで
テンボスコースでしたね。同伴の人が違いますね」これはあくまでも私の想像ですから誤解のないように、
受付譲は同伴の相手が違っていても自己判断で言わないと思います。
このようにコンピューターとロボットの進化のスピードは計り知れません。
思い出してみてください。つい15年前の携帯電話、大きなバッテリーのバックの上に受話器があり
長く電話をしていると受話器が熱を持って熱くなりました。
それが今はスマホで一人一人がコンピューターを持ち歩いています。
こんな事を15年前に誰が想像したでしょうか?

2045年には人工知能が人間の脳の能力を超える年だと言われています。
『関澤は、ブログで反人工知能のことを頻繁に書いている。自動運転の車とナビを操作して崖から落し事故死にしょう』となるかも。
「そんな事はありえないコンピューターは人間が作ったのだから人間が操られる事はない」と小林アナは言いましたが、スマホを放す事が出来ない人は、すでに操られているかも。そして、気が付くとコンピューターとロボットに変わられ、あなたは『失業者』

おやべ・まちなか芸術祭(商店主アート展騒動記)
2015/9/11(金) 午後 8:16 日記
いよいよシルバーウィークが、近づいて来ました。
あなたの予定は?

「自慢じゃないけど、生まれて70年美術館なんか一回も行った事ない俺にアート作品作れ?」言う電気屋。
「自分の店は、うどん屋。うどんでどうやって作品を作るの?」とうどん屋。
「絵を描いたのは、学校で写生大会の時から描いていない」と料理屋。
殆んどの参加商店主はアートとは無縁の生活でした。
しかし、『商店街にお客さんを呼ぶためには、商店主自らが考え制作しないと意味がない』と私に言われしぶしぶ納得した参加店が35店舗になりました。

おやべ・まちなか芸術祭(商店主アート展)は9月20日から23日のシルバーウィークに開催されます。
商店主は、いよいよ尻に火が付いてジワジワと燃えて来ました。
「稲穂でアート作品を作ろうと奥さん相談すると『あんたそんなチンケな作品だめ』とボロクソに言われた。
どうすればいいかアイデアを教えて欲しい」と必死な米屋。
「どれだけ考えても、何を作ればいいか分からなかったから、世界最大のアート展
『越後妻有トリエンナーレ』を見て来てアイデアが浮かび鉄パイプで作品を作った。
おかげで200キロの大作になった」と笑いながら汗をぬぐう鉄工所。
「爺ちゃんの趣味が写真だったので『昭和レトロ』の写真を飾ろうと思うけど
アルバムが約40冊あるけどどの写真がいいか関澤さん選んで!!」と無理難題で迫るかまぼこ屋。
「あまり早く公開すると新鮮味がなくなるから、当日驚きの作品を公開します」とニヤリの呉服屋。
とにかく当日、どんな作品が出てくるかまったく想像出来ませんし楽しみです。

9月18日は、おやべアートハウスがオープンします。
その記念イベントで、クロスランド一帯で『空間造形展』が開催されます。
こちらは、県内外33人の有名作家の作品が展示されます。

おやべまちなかでは、商店主の作品、小矢部市内の保育園児200人の布絵展示、
全国から集まるクラフト作品など。様々な人たちの作品が楽しめます。
是非お出かけ下さい。

「学校に行きたくない!!行かない自由がある!」
2015/9/4(金) 午後 3:22
9月1日の朝、知り合いの奥さんから「子供が『学校に行きたくない。行かない自由がある』と言っているのですが、無理強いすると自殺が一番多いと聞きどうすればいいか教えてください」と電話がありました。
私は、「『夏休みの宿題が出来ていない』『いじめ問題』『夏休みのだらだら生活から抜けていない』等子供さんから聞いてみてください」と言いました。
しかし、本当にそれだけでよかったのか元ベテラン教師に聞きました。
元ベテラン教師は「それは親の問題だ」と予想外の答えを突然言いました。
「親の問題?」と私が聞くと教師は「親が子供と一緒にだらだら生活生活をしているからで親が早く規則正しい生活に戻るべき基本は『早寝、早起き、朝ごはん』です。
問題児は、殆んど親の問題です。親も会社を休み子供さんとコミュニケーションをとって下さい。
いい機会だと思います。そもそも親は何のために働いているのか、家族や子供のためでしょう」その言葉を知り合いの奥さんに伝えました。
3日の朝、「今日の朝、学校に行きました。ありがとうございました」と奥さんから電話がありました。

今回は、数日の休みで済みましたが全国にはもっと深刻な子供たちも沢山います。
「学校に行きたくない。行かない自由がある」と自分の部屋に閉じこもり出てこない子供を、
どう説得するのか、いろいろ調べてみました。
私が『これだ』と思った説は、「学校に行きたくないなら行かなくていいよ。義務教育は子供が学校へ行くのが義務ではなく、親が子供を学校に行かせるのが義務教育です。
あなたが、それを放棄する事は親はあなたを守り育てる事をしなくてもいい事になるので、
あなたは明日から『働いて』下さい」と強く言ってください。
『そんな事子供に言うのは可愛そう』と殆んどの親は思われるかも知りませんが、イギリスで実例がありました。イギリスでは、学校に行きたくない子供たちを集めて建物のレンガ積みの作業をさせました。
子供たちは、毎日楽しくレンガ積みをしました。
しかし、レンガを積むためには、文字を読み書けなくては駄目、重さや長さなどで数学も大切でと言う事を知り、又学校に行き始め真剣に勉強するようになったと言われています。欧米では、教育の基本は『自立して生きていくために、精神力、体力、知力を育てる』事が大切と言う考え方です。そのため子供が成人すると家を出て自立します。

子供の教育には、様々な考え方がありやり方があります。
取材のためお母さんたちが集まっている所で「学校に行きたくない」と子供に言われて困った事は?と聞くと「あったあった」「どう解決されましたか?」お母さんは「『行きたくないなら行かなくていいよ、だけどあなたの好きな給食食べられないね。家のおかずは少なし、ろくな物が出ないから体力付かないよ。サッカーするにも体力が大事でしょう』と言うと息子は笑いながら学校に行きました」

親も様々子供も様々。これも日頃の親と子供のコミュ二ケーションが取れているからだと思います。

高さ数十メートルの大木は、水をどうしてテッペンまで運んでいるのか?
2015/8/28(金) 午後 9:13
先日、小学生の集いの質問コーナーで「私はお父さん似、弟はお母さん似、どうしてですか?」や「私には兄弟が一人もいません、どうしてですか?」様々な質問がありました。
その中で高学年の男の子が「高さ数十メートルの大木は、水をどうしてテッペンまで運んでいるのですか?」と質問されました。私は「葉っぱから水を蒸発させているので、その力で水を吸い上げています」と答えると男の子は「秋とか冬の葉っぱがない時は?」私は答えられませんでした。

私は、自宅に帰り答えを必死に探しました。
ある本では「『根圧』で水をテッペンまで運んでいます」と書かれている本があり、また違う本では「『根圧』ではテッペンまで運べない」と書かれていたり、イロイロの説があり中々答えが見つかりませんでした。
代表的な答えは、『葉っぱからの水の蒸発の力』『毛細管現象』『根圧』でしたが、
完全に解明されていませんでした。(正確な答えをご存知の方は教えてください)
大学の講義では、『蠕動(ぜんどう)運動』で運ばれているのではないかと言われているそうです。
『蠕動運動』は、腸が腸壁を順番に収縮を繰り返し食物を消化しながら排泄する運動です。
大木の水小さな細胞が『蠕動運動』で水をテッペンまで運んでいる説です。

中々回答が見つからないので「木の事はキコリに聞こうと思い、キコリの田中さんに聞きました。
「木は、春から夏にかけて活動が活発で導管で水を吸い上げ光合成で出来た栄養は師管で各部に運ばれます。運ぶのは『蠕動運動かも知れないなぁーー。
常緑樹は粘度のある液をゆっくり運んでいます。冬は水分が極端に少なくなる休眠状態になりますと、私たちキコリの出番です。木は軽くなり、山から切り倒した木を出す時は雪の上を滑らせます」理にかなった答えでした。
キコリさんは最後に「自分は、自分の年上だと思われる大木を切る時は、尊厳と感謝を示しながらしばらく大木と対話した後『それでは切らさせていただきます』と言ってから切っています」

私の体には水は上がってきませんでしたが、胸には熱いものが上がってきました。

種が危ない!!
2015/8/21(金) 午後 6:12
今週のスタジオゲストは、固定種の普及に活動されている、川西順一さんでした。
川西さん「今日持参しました野菜を食べてみてください」
小林アナ「生でその食べるのですか?」
川西さん「生でそのままで大丈夫です」
小林アナ「じゃピーマンをいただきます」『ガリッ』「生ピーマン初体験です。甘くて美味しい」
山下アナ「私はオクラをいただきます」『ガリッ』「筋がなく美味しいです」
川西さん「ピーマンの嫌いなお子さんでも、この固定種のピーマンを食べるとその後ピーマンを食べられます」
小林アナ「固定種とF1(エフワン)との違いは?」
川西さん「固定種は代々受け継がれて来たタネ(加賀野菜や京野菜、全体の7パーセント)です。栄養成分はF1種の2倍です。昔ながらの濃い味で大変おいしく、遺伝子組み換えではないため安心。しかし、不ぞろいで見た目が悪く収穫は少ないです」「F1種は、一代雑種と呼ばれ1回しか使えない変質したタネ(全体の93パーセント)です。均一性があり見た目がキレイで、大量生産が可能です。しかし、味が薄く美味しくなく栄養も半分で、遺伝子組み換えのため将来不安です」
関澤  「国際タネメジャーが、大資本で世界制覇を目指し、F1のタネになると毎年世界中の人がタネを買わなければいけなくなり、タネが買えない国は滅びます。だから固定種を大事に代々繋いでいかなければいけないと思います」
小林アナ「私は固定種とF1種の事を初めて知り、私にも子供や家族がいますしチョット不安になりました」
川西さん「ですから、せめて家庭菜園は固定種の野菜を食べてください。お問い合わせは、076-242-3731です」
小林アナ「そもそも関澤さんと川西さんとのつながりは?」
関澤  「6月に、私の友人が金沢駅のもてなしドームでフリーマーケットを開催していて見に行くと、『種が危ない』の大きな看板あり、私は思わず自分の種の事かと思い川西さんに聞くと、野菜の種の話でした」
小林アナ、山下アナ「ぶぶぶっ!!」
小林アナ「これ以上は、関澤さんが危ないので強制終了です」

おやべ・まちなか芸術祭
2015/8/13(木) 午後 8:57
今日は、9月20日から24日の『おやべ・まちなか芸術祭』のポスターが完成しましたので
実行委員会の広報担当の、山本護さんと北日本放送のスタジオ入りしました。

スタジオでは、小林アナと今年入社の新人アナ山下さんがお相手でした。
小林アナ「今日は、おやべ・まちなか芸術祭の実行委員長の関澤さんと、広報担当の山本さんがゲストです。なぜ芸術祭を始めようと思われましたか?」
関澤  「三井アウトレットパークおやべがオープンしました。年間約350万人が訪れると言われています。その内の数パーセントでも市内の商店街に訪れて欲しいと思い計画しました」
小林アナ「5種類の素晴らしいポスターがありますが、どんな意味がありますか?山本さん」
山本  「今回の芸術祭は、世界でも珍しい商店主自らが考え、アート作品を制作して店に展示する『商店主アート』がメーンです。ポスターにある、魚屋のお母さん、洋菓子の主人、割烹のオヤジがモデルです。その他うどん屋さん、電気屋さん、パン屋さん、化粧品屋さん等約36店舗が参加します。どんな作品が出来上がるか楽しみです。この子供たちのポスターは、『こども布絵アート展』に参加する園児の代表です。高さ50センチ幅240センチの布に、園児4人が一組になり、夢や花や何でも描いてもらい約100枚を商店街の軒下に祭りの時の紅白の幕のようにズラーと飾ります」
小林アナ「五枚目のお寺さん家族のポスターは何故?」
関澤  「小矢部市内の商店街に約25の獅子舞があります。この数は単位面積当たり数では、日本一です。その獅子舞の納めの時、天狗が現れて『獅子殺し』の舞で終わります。その天狗の面を、本行寺さんに集めて展示しますが、古いものは江戸時代面や、個性的な面などみんな違うそうです。本行寺さんには、全国でも珍しい天狗をオマツリする神様がいらっしゃいます」
山下アナ「ここにクラフトマーケットも書かれていますが?」
山本  「全国からクラフト作家が集合します。全て手作りですからアウトレットには売ってません」
山下アナ「私は、クラフトが好きでたまに覗いて買います。今でも大切に使っています
山本  「その他、ミニコンサート、末友劇団の一休さん、光ファイバーの花火など盛りだくさんですから是非お出かけ下さい。お待ちしています」
関澤  「9月20日から24日の、おやべ・まちなか芸術祭の時は、商店街の後アウトレットに行きましょう。全部来られても大変な事になりますので10パーセントで十分です(大笑い)。よろしく」
小林アナ「商店主の皆さんは、どんな作品を作るか物凄く悩んでいらっしゃるのではないですか?」
関澤  「長年生きてきて美術館は一回も行ったことがない人や、図工が2だった人に、いきなり『アート作品を作れ』と言われ皆さん悩んでおられますが私は『楽しみながら悩んでください。あなたの脳は小躍りして喜んでいますよ。新しい事に挑戦することは発想の転換になり新しい道が開けるかも』と励ましています。世界で初めて(たぶん)の事ですから非常に注目されています」

「そうだ立山へ行こう」
2015/8/7(金) 午後 4:12
8月3日、東京の友人が北陸新幹線で遊びに来ました。
『金沢も熱いし、能登も暑いし、どこへ行っても熱し、そうだ立山へ行こう!』と
午後1時すぎから立山を目指しました。
立山駅午後1時40分発のケーブルに乗って2400メートルの室堂に向かいました。
途中、弥陀ヶ原付近で小雨が振り出し『車の中のカッパ持って来れば良かった』と
思いましたが後の祭り。しかし、室堂に着くと雨はあがり曇り空でした。そして時間とともに雲が晴れてきました。
そして、立山連峰の大パノラマが姿を現すと友人は、
「私は世界中回ったが、こんな大パノラマは生まれて初めてだ!!凄い!!」
室堂から近くのみくりが池とみくりが池温泉へ行きました。
みくりが池周辺は、天気が悪いと雷鳥親子に逢えますが今回は逢えませんでした。
みくりが池温泉は、標高2410メートルにあり、日本で一番高い所にある乳白色の温泉です。
友人は「地獄谷の上の極楽のような温泉だ。もう死んでもいいくらい感動した」と言いました。
帰りは、午後4時20分室堂発のバスで下山しました。
途中、「もう死んでもいい」と言っていたので、こっそり閻魔堂に行きました。
私は、今の内から閻魔さんに顔を覚えてもらうために、立山に行くと寄っています。
入り口近くにあるスイッチを入れると本堂の中は明るくなり閻魔さんの迫力ある姿が現れます。
すると友人は、いきなり般若教を唱えたのにはビックリしました。
「関澤君、素晴らしい演出だよ。自分は海外でもよく般若教を挙げるよ。ありがとう富山は奥が深いまた来たい」と満足して新幹線で帰りました。

私は、美女平周辺の立山杉のバスガイドの紹介で「樹齢300年と言われています」と言ったので、『それはないやろ.。冬は極寒の地域で積雪は8メートル、溶岩先端部分で栄養もない所で300年はない』と思いました。
早速、立山黒部貫光に問い合わせすると「富山森林管理所に聞いて欲しい」言わました。
富山森林管理所では「生きた立山杉の年輪を数えるのは不可能なのであの太さなら300年ぐらいかとーー」私は、「名古屋大学の平教授は、江戸時代に伐採された立山杉は中が空洞になって年輪が数えられず中心部分は炭素調査の結果2250年から2150年と言われてますがーー」と言うと、「様々な説があることは分かっています。平成31年に公式発表に向けていろいろ調査中です」と係官の話でした。

男も女も立山杉も年齢は大事です。

間違い発見 訂正します。
2015/8/2(日) 午後 8:14
『大地の芸術祭』を世界最大級のアート展まで育て上げられた、
北川フラムさんの経歴を勘違いしておりましたので訂正します。

『北川フラム』さん
アートディレクター、アートフロントギャラリー代表
1946年新潟県高田市(現上越市)生まれ、東京芸術大学卒業。

第5回大地の芸術祭2012年
展示作品数;367点(うち恒久作品数189点)
作品展示集落数:102集落
来場者数:488、848人
全体事業費:489、034、000円
作品鑑賞パスポート販売枚数:55、966枚  163、318、,000円
寄付協賛:183件 104、561、500円
新潟県内経済波及効果:4、650、000、000円

北川フラムさんは「補助金頼りのアート展は補助金が終わるとアート展も終わってしまいます。苦労しながらパスポートを販売し、協賛金を集めなければ決して長く続かないしいいアート展にはならない。関係者の覚悟が大事。
私を含め耳の痛い地方活性化イベント関係者が多いと思います。

世界最大級アート展『大地の芸術祭』
2015/7/31(金) 午後 8:22
7月27日、世界最大級アート展『大地の芸術祭』越後妻有アートトリエンナーレ2015へ
鑑賞に行ってきました。
世界35カ国と地域と380の作品が十日町市と津南町の広い範囲に点在しています。
山の上、池のほとり、棚田、ダムサイト、森の中、空き家、廃校など
1泊2日でも全ての作品を鑑賞するのは不可能です。

そもそも誰が何のために、平年でも4メーター、多い年は6メーター雪が積もる
世界有数の豪雪地帯に現代アート展を始めたのか?
新潟県生まれでない、山川フラムさんがこの地を訪れた時、人口減少が激しくおじいさんおばあさんが元気がなく笑顔もなかった『このお年寄り達の笑顔を見たい』と2000年よりアート展を始めました。しかし、開催するまで各村の村人を説得するために4000回は訪れたそうです。それはそうでしょう、あなたも想像してみればわかると思いますが、
どこの馬の骨かわからない人が「現代アート展でみなさんの笑顔が見たい」と突然言われても、無視すると思います。

しかし、少しづつ少しづつ協力者現れ、現在は世界最大級のアート展になりました。
今年で5回目になりますが、有名作家の作品は保存展示されているため一年に約40万人が訪れます。
「本当に町のムードが変わりました。沢山ある空き家に作家の人が住み始めたり、
若い人がいつも鑑賞に来ていたり、十日町名物の『ひぎそば』の店が増えました」と、
朝取りの冷やしたトマトを笑いながら勧められました。
どのお年寄りもみんな笑顔でした。山川さんの想いが実現しつつあるなと思いました。

肝心の作品お話はどうなったと言われそうですが、現代アート作品は一人一人の感じるままです。
「これは何だ!!」「こんなもんなら俺でも作れる」「この作品は凄い感動した」同じ作品見ての3人の感想ですから作品の話はなし。あなたも越後妻有を訪れ全身で感じてください。もう一人の友人のように「作品はサッパリだったけど十日町名物『ひぎそば』は美味かった」だけでも訪れた価値はあると思います。

ルビーロマンと山口ブドウ園
2015/7/23(木) 午後 8:56
夏の果物は、すいか、もも、ぶどう等がありますが、
石川県で一房100万円の値段が付き注目されているのが『ルビーロマン』です。
そこで、石川県倶利伽羅の山口ブドウ園さんへ取材に行ってきました。

「北日本放送ですが、ブドウつくりの苦労話を聞かせてください」
「私は、年も年だし、何時まで出来るか解からないし、口下手だしお断りします」と山口さん。
「最近、いろんな人がいろんな事を言ってきますからね」と奥さんは不審者扱い。
「話だけでも聞かせてください」
「話すだけなら」としぶしぶと話し始められました。

「なぜ、ブドウ園を始められたのですか?」
「約45年前、妻と二人で山梨県方面に旅行した時『ぶどう狩り』の入園料が高額で、
『これをやれば絶対儲かる!!』と思い決意しました。
しかし、後からとんでもない事だと思い知らされました。
最初に、石川県でも寒暖さの激しい倶利伽羅山を買い大木の伐採を始めました。
その当時ようやくチェーンソーが出始めた頃でしたが買ってきて大木の伐採を
始めましたが大木を切っても太いツルが巻きついていて倒れず4本ほどまとめて切ると
一気に自分の近くにどどどと倒れてきて死にそうになりました。
また、大木を伐採した後は、大木の根っこが厄介で人力で掘り起こすのは大変なので、
大型のブルトーザーで一気に掘り起こし谷を埋めました。
これが間違いでした。
大事な表面の腐葉土を剥ぎ取ってしまったため、5年間はまったく作物が育たず石灰を蒔く毎日でした」

「奥さんは、何も言われなかったのですか?」
「なんかいろいろ文句を言っていたかも。ここまで来ると感謝感謝です」

「ブドウ作りの作業には、センテや袋がけや種無しにするための液付けなどがありますが、
『玉抜き』はどんな作業ですか?]
「それは、適粒のことです。ブドウは粒が大きくなってくると粒同士がぶつかり潰れてしまうと
商品価値がなくなるため、一粒一粒の成長を想像しながら『玉抜き』をします。
これも大変な作業です。特に値段の高いルビーロマン等は房に付く一粒一粒のバランスまで見ます。
審査も厳しく合格して箱入りになるまで並みたいていの苦労ではありません。
約120業者が栽培していますが試行錯誤の連続でルビーの宝石を磨くがごとしです。
私のブドウ園は、二人とも高齢でいつまで出来るか解からないので栽培していません。
しかし、ルビーロマンの片親の『藤みのり』は8月上旬には出荷できます」

そのほか様々な山口夫婦の人生劇場を聞いていて、気が付くと2時間が過ぎていました。
「口下手な山口さんの話は、私にとって『ルビー』の宝石のように光り輝く話でした」

アウトレットパーク北陸小矢部と小矢部市の変化
2015/7/16(木) 午後 9:48
7月16日、三井アウトレットパーク北陸小矢部がオープンしました。
最初の計画は80店舗でしたが、ドンドン増えて173店舗になりました。
この規模は三井アウトレットでも2番目の大きさです。
しかし私は、悲しいかな数店舗のブランドしか知らずその凄さも解かりませんので、
小矢部市の変化についてお話します。

最初は、小矢部市の知名度が上がった事です。
私の友人が、新潟県柏崎のスナックで飲んでいて、色の白い新潟美人のママに
「お客さんどちらから?」と聞かれ「富山県小矢部市です」と答えると、
「えェー!!小矢部ですか!!」と大きな声で言われたので「小矢部に親戚でも?」と言うと、「アウトレットでしょ!!小矢部といえばアウトレット。店の娘みんなで行くのを楽しみにしています」と。どこへ行っても小矢部と言えば「あのアウトレットの」と言われます。

次は、あいの風鉄道の石動駅の変化です。
3月14日に北陸新幹線が開通し、北陸本線があいの風鉄道に変わりそれと同時に特急も
なくなりました。一気に乗降客が減り、朝夕の通勤、通学と日中の高齢者のみとなり、実に淋しい駅になりました。しかし、6月に入ると都会的な女性やファッショナブルな女性客が増え、それにいかにもビジネスマンらしい男性客も増え始めました。小矢部市内のアパートは、どこも満室状態なので高岡や金沢からのスタッフの通勤客です。
「なんか石動駅の風景が変わったね」市民は言っていました。
そして7月16日、アウトレットがオープンしました。
私は早速石動駅に行って溢れ返るお客さんを見て、目と鼻のやり場に困りました。
若い女の子のファッショナブルな姿(スカートが短すぎる)と、様々な香水が混ざり合い異様な臭いに。
日頃、加齢臭しか知らない私は、目まいを起こし倒れそうになり鼻を背けました。

最後は市民の変化です。今までは、お金を使う場所がなく全国有数のお金持ちでしたが、これからはお金を使う楽しみを味わう事でしょう。
しかし、私の奥さんのように「値段を見てビックリして、そーと棚に返して来た。私はやっぱりシマムラが好い」と、旦那の私とすれば、喜んでいいのか悲しんでいいのか複雑な気持ちです。

とにかく、アウトレットは今日オープンしました。これからはイロイロなものが変わるでしょう。『変化は大好きです』

世の中サギだらけ
2015/7/10(金) 午後 5:13
先日、石川県の粟津温泉に泊まり朝、温泉街を散歩していて
思わず「あれは何だ!!」と叫びました。
それは、小さな丘の上の高い木の上が真っ白で「雪かな?」
目を凝らしてよく観ると白サギの群れでした。
『あれが全部サギ?凄い数になるな』と思い、散歩をしている夫婦に聞きました。
「数えた事は無いけど300羽以上は、いると思いますよ。最近又増えたみたい」
「被害は?」
「それはこれだけの数ですからね。昔は丘の上にホテルがあり『まじかで白サギが
観られる』ということで観光バスが入るくらいでしたが、余りにもサギが増えすぎ、
泣き声と、フンの被害で倒産しました」
粟津温泉観光協会の人は、
「フンの被害が問題です。お客さんの大事な車や旅館のバスなどに落され大変です。
イロイロ対策を考えてやってみましたが効果がなく、木を伐採するなが一番ですが
莫大な費用がかかり市か町か個人か誰が負担すか何時ももめます」
小矢部市の観音寺さんには、灰色のアオサギが50羽ぐらいいます。
「サギの語源は『騒がしい』と言われるくらい泣き声とフンの被害がやはり大変です。
しかし、ここに集まってくるサギは他を追い出されて来ていると思うと、木を伐採してしまうのも             可愛そうと思いそのまま見守っています」と
住職らしい答えでした。
もっと問題のサギは、頭の黒いしゃべるサギたちです。
オレオレサギ、振り込みサギ、商品送りサギなど世の中サギだらけです。
もっとも許せないのが『国立競技場サギ』です。
最初は1600億円が2520億円になり最終的には3000億円以上になるそうですが
これまでの競技場は500億円から700億円、特徴的なレール二本で700億円と聞くと、
こんなサギみたいな話は許せないと思います。
これだけの金額で将来性のある苦学生や大学生が救えるし、
文化財の年間補修費が81億円です。観光で地方創生を言いながらこの金額です。
そして、これは全部文科省です。

『お・も・て・な・し・』が、『お・か・ね・な・し』にならないように、お金の使い道を考えるべきだと思います。

世界でもっとも美しい湾をヨットで帆走して来ました。記事をクリップするクリップ追加
2015/7/3(金) 午後 5:30
世界でもっとも美しい湾は、フランス、モンシャンミッシェル湾、アメリカ、サンフランシスコ湾など世界で37湾あります。
日本では、松島湾と富山湾です。
富山湾は海面から3000メートル級の北アルプスが連なりその中を白い帆を張って進む、
想像しただけでも興奮します。
その、富山湾をヨットで帆走して来ました。
なぜ?
7月18日と19日に『タモリカップ』が日本海側で初めて開催されると聞き、
友人に「取材もかねて乗せて欲しい」と頼むと、
「いいよ。12人乗りの大型ヨットだから友達誘ってこられ」と言われ、最初に若い女の子を誘うと、不審な顔で断わられました。
次に、おば様たちに声をかけると「乗りたい、イクイク」と言っていましたがドタキャンされました。
結局、ヨット初体験の私と古い友人と船長の塚本さんと紹介者の広田さんの4人で、
6月28日、第二回大型艇ヨットレースに参加しました。

ヨットレースは、新湊マリーナからスタート地点のポールの所に集結して、11時に一斉スタートします。
私たちの乗船した竜神号は、初体験者2人いたためスタート時間にスタート地点にたどり着けず、大会スタッフの乗った船から「楽しんでください」と同情の声をかけられました。船長の塚本さんは「このヨットは大きいしキャビンや様々物を積んでいるためいつもビリです。しかし、自分の腕を磨くためレースに参加しています」
スタート時間から遅れること40分(この時点で失格)よやくスタート。

白い残雪の3000メートル級の北アルプスは圧巻!!のはずが、
時々小雨交じりの天気で何も見えず。
しかし、竜神号は富山湾の風を受けて快走し、方向転換用のジブセールを「スタック、スタック」と声をかけてロープを引っ張り固定します。かなりの体力を使いましたがヨットが45度に傾き、海面を滑るように快走するのは、男の開放感を感じました。

「船に乗るという話になると必ず『船酔い』の話が出ますが、ヨットは風を流しながら走っている時は、ほとんど揺れません。特に甲板にいるときは酔いません。心配してキャビンの中にいるほうが、船酔いする時もあります。週に2回から3回海に出ていますから何時でもどうぞ」と塚本さんは言われました。

私は、風を読みながら風を受け、風を流して帆を操作しながら海面を快走するのは気持ちいい!!
しかし、風を読み間違えると、どんどんゴールから離れます。
私の人生の航路のようにーーー。

「ミラノ万博で書道パフォ―マンスして来ました」
2015/6/26(金) 午後 9:03
今週のスタジオゲストは書家の『酒井 安子』さんでした。

小林アナ「酒井さんのお仕事は?」
酒井さん「書家です」
関澤  「酒井さんの作品は、現代アートに近い感性の書で私は大好きです」
小林アナ「ミラノ万博で書道パフォーマンスを、されたそうですがどんな事をされたのですか?」
酒井さん「5日間で一日2ステージで8ステージして来ました」
小林アナ「どんな格好で何を書かれましたか?」
酒井さん「金髪で古道具屋で買った派手な晴れ着と袴で、音楽に合わせイタリア語で良い友達や良い出会いなどを書いたり桜島を書いた時は物凄く受けました」
小林アナ「何故桜島?だいたいどこの依頼だつたのですか?」
酒井さん「依頼されるのは、何時も鹿児島県の医師の方です」
小林アナ「いつもと言われましたが、今回が初めてではないのですか?」
酒井さん「北京万博から始まり今年で5回目です。日本館の鹿児島県の日に出演しています」
小林アナ「旅費とかはいくらぐらい出るのですか?」
酒井さん「まったく出ません。いつも断わりたいと思っていますが鹿児島の医師から『酒井さんがいないと始まらない』と言われ一番安い料金の所を探して行ってパフォーマンスを、楽しみながら書いています」     
小林アナ「その時に使われた筆が関澤さんが持っていらっしゃる長さ80センチの筆ですか?」
関澤  「このフサフサの毛が羨ましい」
小林アナ「そっちですか」(みんな大笑い)
関澤  「日本館の富山県のブースは何が展示されていましたか?」
酒井さん「パフォーマンスに忙しく、まったく観ていません」
小林アナ「他に印象に残った事は?」
酒井さん「円安が凄いです。5年前は1ユーロ、100円でしたが、今は1ユーロ138円で手数料を入れると150円ぐらいになり、所により1ユーロ200円の所もあり、直ぐお財布が空になりました」
関澤  「イタリア料理は、何が美味しかったですか?」
酒井さん「色々なパスタを食べましたが、ペンネが一番美味しかったです」
関澤  「筆ではなく、ペンですか。(笑い)お後がよろしいようでーー」

恥ずかしい『休日のお父さん』の絵
2015/6/19(金) 午後 4:13
6月21日は、父の日です。
店のお客さんに『父の日』の思い出を聞きました。
「子供が小学生の時『休日のお父さん』を描きなさいと言われ正直に描きました。
妻が学校へ行き、わが子が描いた絵を見てビックリ。
学校から帰ってくると妻は『恥ずかしくてもう学校には行けない!
他の子は、楽しそうに家族で遊んでいたり、ゴルフをしていたり、釣りをしていたりなのにマァちゃんの絵は何を書いてあったと思います?『休日のお父さん』はパチンコ台に座るアンタでした。
本当に恥ずかしい!!』と言われた事がある。自分は正直でいいなと思ったけど妻には言えなかった」それを聞いていた隣のお父さんは、
「自分の子供の時は、モット凄かった『休日のお父さん』を描きなさいで、
ソファーに寝そべるお父さんが描かれた絵が、体は小さく顔がやたら大きい絵でした。
その絵が金賞に輝いたものだから廊下に張り出され、全校生徒、全先生方、全両親の知る所となり、妻が学校に行くと、PTAではみんなニヤニヤ、先生方は『お父さんはお元気ですか?』聞かれ、『恥ずかしくてもう学校には行けない』と暴れていた」

そんな子供たちも、年数とともに立派な大人になっています。
私はカレーショップを始めて今年で43年になりますが
様々な子供たちをみてきました。
来店して、騒ぎながら靴のまま椅子の上を歩き回り「こらぁ!!静かにしなさい!!」と叱ると、お父さんが「ほら怒られた。ここのナスターは気が短いからね」『アンタがちゃんと躾をしてないからでしょう』と腹を立てていた子供が、自衛隊に入り礼儀正しく爽やかな青年になって現れたり、「私カレー嫌い、寿司食べたかった」と足をばたつかせて暴れていた女の子が、お父さんの会社が倒産すると「今日から贅沢は駄目!」と家中のスイッチを切って回った。そして、自分でお金のかからない看護学校を見つけてきて、今では看護師として立派に働いている。

オヤジがパチンコ狂いでも、ソファーに寝そべっていても、子供は育ち、社会が躾てくれるので、オヤジは余り神経質にならなくともいいと思います。

『漂着物アート展2015』氷見市海浜植物園
2015/6/12(金) 午後 8:27
今週のスタジオゲストは、
環日本海環境協力センターの(島田博之さん)でした。

小林アナ「島田さんのお仕事はどんなお仕事ですか?」
島田さん「豊かな海を守り育てるため海洋ゴミを減らしながら、海の生き物の環境に取り組んでいます」
小林アナ「富山湾の海はゴミが多いですか?」
島田さん「富山湾のゴミは、ほとんど富山のゴミです。毎週のように沢山の人たちが清掃していますが、無くなりません」
関澤  「私の近くの石川県の千里浜は、別名チリ浜と言われるくらいゴミだらけの浜です。その浜には、ハングル文字のプラスチック容器や漢字の漁具などおびただしい量です」
島田さん「千里浜は外海ですから外国のゴミが沢山来ます」
小林アナ「日本に押し寄せる漂着ゴミは、年間どれくらいありますか?」
島田さん「なかなか数字では表せないですが年間約19万トンで体積は約63万へーホーメートルで東京ドーム半分ぐらいです」
小林アナ「どんな種類のゴミが多いですか?」
島田さん「プラスチックが77パーセント、発泡スチロールが17パーセントです」
関澤  「この資料では、プラスチックは450年、アルミ缶200年、発泡スチロール80年で分解されると書かれていますが450年ですか?」
島田さん「分解するまで長い年月がかかりますが、問題は品物が劣化して細かい粒になり魚や鳥などが食べる事により悪影響を起します。将来は海が劣化した粒でいっぱいになると言われています」
小林アナ「他に最近多いごみは?」
島田さん「タバコのフィルターが多いです。たばこの葉や紙は溶けますがフィルターは溶けないためフィルターーは沢山砂に埋まっています」
関澤  「たばこを吸う人は道路の側溝の穴に捨てますね。それが海に流れ汚しているのですね」
小林アナ「この漂着物だけでアート展を開催された目的はどんな事ですか?」
島田さん「浜の近くの氷見市窪小学校の4年生と、富山大学芸文の学生が浜から漂着物を拾ってきてアート作品を作りました」
小林アナ「この黒いのは何ですか?これは靴ですか?」
島田さん「黒いのは韓国の漁具で靴も沢山あります。子供たちは作品に使う漂着物を拾う事により、無意識に物を捨てると最後は海に着くや、海の生物の事など様々な事を学びます」
関澤  「私は、愛の言葉と住所を書いてビンに詰めて流し、拾った人と愛の確認をしたいと思っていましたが愛の確認も怪しい年齢になりましたのでやめますーー」

ワンボックスカーに煙突?
2015/6/4(木) 午後 5:57
あなたは、ワンボックスカーから煙突が出た車はどんな車か
正解をお答え下さい。
1)温暖化対策でバイオ燃料の車

2)新しい焼き芋チェーンの車

3)ボイラーを積んだ車

4)新しいキャンピングカー
正解は、3)ボイラーを積んだ車です。
何のためにボイラーを積んで走っているのでしょう?
それは、訪問入浴サービスの車です。
担当の林さんにいろいろ聞きました。
関澤 「どんな人たちが利用されていますか?」
林さん「自宅にいて動けない人のために入浴サービスを提供しています」
関澤 「スタッフ何人で活動されていますか?」
林さん「介護士、看護師、環境整備の三人です。看護師は入浴前の体温、血圧など健康チェックし環境整備は、浴槽を部屋に持ち込むためシートを敷いたり、プライバシーのためカーテンしたり、室温をチェックしたりします」
関澤 「車に積んだボイラーはどのように使いますか?」
林さん「訪問先の水道水をボイラーにつなぎ温かいお湯を浴槽に送ります。お客さんは、懸け流しの状態で洗髪、体洗いを行います。排水は、浴室、トイレ、排水口から流し約300リットル使います」
関澤 「お客さんの反応は?」
林さん「やはり日本人は風呂が一番ですね。風呂に入ると体の清潔は一番ですがその後心もリフレッシュされて元気になり前向きになられます」
関澤 「私の近所にも1年半利用された方がいらっしゃいますが、奥さんは『本当にプロだと思いました。仕事はやさしい言葉をかけながらテキパキされ、人間の尊厳を大切にされた気使いの振る舞い等素晴らしく、家族では出来ない仕事ぶりでした。おかげさまで今はデーサービスに行っています』と言われていました」
林さん「私たちの仕事は、生きがい応援だと思っております」
関澤 「一回の訪問入浴はいくらですか?」
林さん「介護保険を使いますから1、850円です」
関澤 「私の自宅に来ていただく事はできますか?そのときはいくらですか?」
林さん「関澤さんは保険が使えませんから18、500円になります。それだけ出されるのであればどんな風呂でも入れるのではありませんか」

非常に納得の出来る答えでした。
スタッフの方は、今日も煙突の付いた車で一日7件、県内を走り回っています。    

「バチ当たるぞ!!こんなに食べ物を粗末にしていると」
2015/5/29(金) 午後 3:27
もう直ぐ5月30日です。
『ゴミゼロの日』ですね。
しかし、日本人は一人当たり世界で一番食べ物を捨てています。
アメリカは105キロ、日本は152キロ一年間で捨てています。
日本の食糧自給率はカロリーベースで27パーセント、食糧輸入量は5800万トンで
捨てている量は、一般家庭1000万トン業務用800万トン合計1800万トンです。
輸入量の実に約3分のⅠが捨てられています。
1800万トンと聞いても想像出来ませんが、これだけの量で途上国では5000万人が食べる量です。
好きなものを食い散らかして後は捨て、スーパー、コンビでは賞味期限が来たものは、
強制的に捨てています。
「こんなに食べ物を粗末にしているとバチが当たるぞ」

ゴミがゼロになると困る人や設備があります。
先日、高岡広域エコクリーンセンターへ取材に行ってきました。
ここは、平成26年10月より稼動し始めた最新式の焼却場で、高岡市、氷見市、小矢部市のゴミを一日最大255トン、45リッターのゴミ袋30,00個処理しています。もちろん臭いも煙もありませんし排水は全て敷地内で再利用して敷地外には出していません。
また、廃熱を利用して発電もしていて施設内の全ての電源をまかない余った電気は売電しています。
最大4600キロワットの発電が可能で一般家庭8000世帯分です。
「ゴミゼロは、焼却場は困りますが、食べ物は大切にしてゴミは少なくして欲しい」

あなたの家のゴミ出しは誰の担当ですか?
約80パーセントは主人の担当です。
この現象はなぜ?
ゴミがゼロになると亭主が捨てられる?

人口当たり日本一の獅子がいる町の『獅子舞祭り』
2015/5/22(金) 午後 3:50
5月23日24日、小矢部市で『獅子舞祭り』が開催されます。
小矢部市は、人口当たり日本で一番獅子がたくさんいます。

今週のスタジオゲストは、小矢部市獅子舞連合会会長の「藤本 雅章」さんでした。
小林アナ「小矢部市には、いくつの獅子がいますか?」
藤本さん「小矢部市全体で86団体あります。これは人口当たり日本一の多さです。23日の獅子舞祭りでは町内の24団体の獅子が朝から夜まで町内いたる所で踊ります」    小林アナ「どんな特徴のある獅子ですか?」
藤本さん「特徴はありません。氷見獅子、新川獅子、加賀獅子など様々な流れを汲む獅子がいるため様々な獅子を見ることが出来て『獅子マニア』にはたまらない魅力です」
関澤   例えば、全国から引っ張りだこの『親子獅子』二人で踊る『立ち獅子』天狗の獅子殺しに医者と看護婦が出てくる『福町獅子』などです」
小林アナ「23日の獅子舞祭りはどんな事が有りますか?」
藤本さん「獅子舞祭りは、別名天神祭りと言われ前田家から天神様の掛け軸を授かった観音寺に奉納に上がりその後、町内を乱舞します。観音寺で全ての獅子を見ることができます」
小林アナ「24日の獅子舞大競演会はどこで有りますか?」
藤本さん「小矢部市商工会会館前で、9団体の獅子舞競演が行われます。石川県の『加賀獅子』も参加います」
小林アナ「『加賀獅子』は、どんな獅子ですか?」
藤本さん「ものすごく大きいです。獅子頭だけで5メートルもあり、二人で頭を持ち踊ります」
関澤  「藤本さんが、指導に行っていらっしゃる西部保育所の園児の獅子舞もありましたね」
藤本さん「そうです、本当に子供たちは獅子が好きですね」
関澤  「私の高岡の孫が何時もダンボールの獅子頭を持って『イヤサーイヤサー』と踊っています」
小林アナ「私の女の子も獅子舞が好きでダンボールの獅子頭で遊んでいます」
藤本さん「やっぱり日本人は、笛と太鼓の音を聞くとジッとしていられなくなりますね」
小林アナ「岡本アナは、獅子舞男子を見ると、堪らない気持ちになりキュンと来るそうです」
関澤  「私は、獅子舞の頭のような顔ですがキュンとなって欲しいなァ」
小林アナ「関澤さんの顔は中途半端だから無理だと思います」(みんなで大笑い)
藤本さん「皆さんぜひ小矢部の獅子舞をお楽しみ下さい」

水芭蕉2000株群生している『取立山』
2015/5/14(木) 午後 8:17
5月11日、水芭蕉が2000株群生している『取立山』に登ってきました。

店の常連さんたちは、私が店にいないと「どこへ行った?」「どこの山へ行った?」と、
五月蝿いので「借金取りに追われて取立山へ行った」と、家内に言って出かけました。
しかし、『取立山』の由来が気になり調べました。
『取立山』は、石川県白山市と福井県勝山市の県境にある1307メートルの山です。
一部なだらかな所では焼畑農業が行われていました。
江戸時代中期に石川県から福井県へ入植して焼畑農業をする人が増え、
勝山j藩が白峰藩に激しく年貢の取立てをしたために『取立山』の名前が付けられました。
登山口の駐車場に着くと平日なのに、ツアーバス一台と自家用車が20台ぐらい駐車していました。
登る途中、うぐいすや様々な小鳥のさえずりを聞いたり、山桜やタム芝などを見たりしながらゆっくり1時間半ほどかけてうっくり上りました。
頂上に着くと、目の前に残雪の白山がドーンと見えました。
早速、おにぎりとカップめんを食べ、その後一緒に登った女性が抹茶をお菓子付で立ててくれました。「わぁ抹茶か、素晴らしいな一杯ほしいなぁ」と頂上に集まっている人に言われたので、
富山県の方言で「あかん茶」と言いました。

頂上から約20分ほどで、水芭蕉が2000株群生している取立平に着きましたが
残雪がすごく池になだれ込んでいました。
しかし、冷たい雪解けの水が流れる雪の隙間みたいな沢に7センチぐらいの水芭蕉がひっそりと、15株ほど咲いていました。
周りの残雪、杉林の濃い緑と、倒木のコントラストが素晴らしく思わず手を合わせるぐらい感動しました。

下山の帰り、美人の湯、絹肌の湯の『白峰温泉総湯』に入り肌はつるつるすべすべになりました。私は、放送中によくカムので、滑らかに喋れるように少し湯を飲みましたが、
今日の放送もカムしスベッテしまいました。(トホホ)

週刊新潮表紙絵『谷内六郎さん』
2015/5/8(金) 午後 9:07
5月17日まで小矢部市道の駅展示ホールで、
企画展「郷土ゆかりの人たち」が開催されています。
週刊新潮の表紙絵を25年間1330余点を、昭和56年まで描き続けた『谷内六郎』さんと、
京都を拠点として全国、アメリカ、インド等世界中に邸宅や料亭など
生涯250件の建築物を建てた『中村外ニ』さんです。
そして、一時日本一の寄付王と言われた『大谷米太郎』『大谷竹次郎』『大谷勇』さん方々の紹介と作品が展示されています。

『谷内六郎』さんの表紙絵は30点展示されています。
(タネを吹く子)昭和35年5月23日号の下の詩。
よく遠足の子などタンポポなど見つけてフーと吹きます。タネは落下傘のように空間に舞うのが幻想的です。女の子は横向きに花を手にもっている姿というのはーーー

本当にほっこりする表紙絵と詩が書かれています。
『谷内六郎』さんは、東京恵比寿の生まれですがお父さんが小矢部市の山村の内山出身です。
戦争中、お母さんが内山に疎開中、六郎さんが小学生の時内山を訪れ
日本の原風景の山村に強い衝撃を受け、その後の六郎さんの絵の原点になったと言われています。

『中村外ニ』さんは、茶道関係者で知らない人はいないくらい有名な人です。
茶道関係者でない私はまったく知りませんでした。
ロックフェラー邸の茶室や伊勢神宮の茶室など数多くあります。
富山県では県立水墨美術館の茶室も中村さんの手によるものです。
『中村外ニ』さんの事を知りたくて、図書館で「俵屋の不思議」と言う本を借りて読みました。
京都俵屋は京都のこだわりの職人集団が支えていますが中村工務店は出入り業者です。
庭の石を数センチ単位で動かしたり、板の文様が納得いかないと全部変えたりコダワリに人でした。
この俵屋には、ヒノキ風呂を磨くだけの「みがき屋」
客室に飾る生け花が気に入らないと山へ気に入った枝振りを探し持ってくる「切り出し屋」
花王石鹸と共同開発した俵屋らしい「俵屋石鹸」など全てこだわりの職人と品物です。

仕事より遊びとおにぎりの好きな私は、番組を続けます。

高岡御車山わらべ歌と舞い
2015/4/30(木) 午後 8:28
今日30日は高岡御車山の宵山です。
今晩7時から御馬出(おんまだし)町の車山の前で、高岡市内の小中学生15人が巫女姿で舞います。
舞は、神楽の舞いと小中学生が創作した『神あそび』です。
曲は、昭和24年に制作された高岡御車山を讃えるわらべ歌です。
長い間、噂に上る事はあっても聞く事ができない状態でしたがある所から発見され、
その曲で舞う事になりました。
歌詞は、御馬出のやまの上に 佐野の源左衛門 『そら見て そら見て』 梅 松 桜
 平和の時の 姿じゃないか ドンドンチキチン ドンチキチン ドンドンチキチン ドンです。
他の町の人形は、大黒さんや布袋さん大鯛等ですが、『この佐野の源左衛門は誰?』と疑問を持ちました。
そこで、25日にオープンした御車山会館に行きました。会館の前に立つと『休館日』
25日に華々しくオープン3日以後は休み。次から次へと地図を持った観光客が来ますが驚き不満たらたら帰って行きました。私は、観光客に媚びず定休日を守る高岡人に『流石高岡』と思いました。

御車山会館が休みのため高岡図書館に行き「この佐野の源左門は誰で、何故御馬出町の上に飾られているのか?」聞くと、担当の係のが次ぎから次へと資料の本を出してこられました。
おかげさまで解かった事は、佐野の源左衛門は鎌倉時代の武士でしたが騙されて領地を失い貧しい生活をしていました。
ある冬の大雪の日、旅の僧が一泊泊めて欲しい訪れました。
あまりの貧しさのため一度は断りましたが、もう一度思い直し呼び止めて家に招きました。
旅の僧は、『この男は、百姓ではなく武士である』と気が付きます。
そして、源左門は「今はこんな生活ですが『いざ鎌倉』の時はボロボロの鎧兜でもはせ参じます!」と強く言いました。そのうち暖房の薪がなくなり大切にしていた盆栽の桜、梅 松を切って燃やしました。

そして、鎌倉幕府から召集の命令が出され『いざ鎌倉』になりました。
源左衛門はボロボロの鎧兜ではせ参じ、顔を上げると大雪の日の旅の僧で、
時の将軍北条時頼でした。
将軍は、褒美として盆栽を切て暖めてくれた、加賀梅田の庄、上野の松井の庄、越中桜井の庄を与えました。
時は過ぎ源左衛門は射水頭川佐野で亡くなります。それは現在の高岡市佐野です。
こんな事から御馬出町の人形は佐野の源左門になったのかと推察されます。
まだまだ調べたいと思っておりますが、
なにしろ400年の歴史と伝統の御車山ですから奥は深く興味深いです。
明日は、御車山が7基が勢ぞろいしますから是非、豪華さと長い歴史と物語を感じてください。

北陸新幹線の新高岡駅の発着音は魂に響く音
2015/4/24(金) 午後 6:24
今週のスタジオゲストは、雅楽演奏家の『太田 豊』さんでした。
太田さんは、10年前にJR高岡駅と万葉線高岡駅の発着音を作曲、制作されました。

小林アナ「関澤さんは、これらの発着音は北日本放送の番組から始まったと言われますが本当ですか?」
太田さん「本当です。私の友人の酒井君が『高岡は銅器の町だから高岡らしい音の駅の発着音にしたい』と言ってきたので、御鈴を使って作曲しました」
小林アナ「御鈴は、あの仏壇の中にある御鈴のことですか?」
太田さん「そうです、高岡にある御鈴製作所の山口九乗さんの協力で音階別の御鈴が出来ました」
小林アナ「音階別に御鈴の大きさが違うのですか?」
太田さん「大きさは、全部同じです。職人さんが耳だけで御鈴を削って音階を作ります」小林アナ「どうして発着音になったのですか?」
関澤  「太田さんが作曲、制作された2曲を関係各方面に聞いてもらったが、まったく相手にされず私の番組で放送すると、『高岡の目覚ましの音だ』や『高岡らしい上品で素晴らしい音だ』など、ファックスや電話が殺到しました。その意見を持って高岡駅の駅長に逢い交渉して厳しい条件をクリアして採用されました」
太田さん「その時の2曲が愛の風鉄道、城端線の高岡駅と万葉線高岡駅で流れています」
関澤  「10年後の今は学校のベルや、会社のベルなど様々な所で御鈴のメロディーが流れています」
小林アナ「今回の北陸新幹線新高岡駅の発着音で苦労された事は?」
太田さん「最初に作った曲は、高岡の国泰寺に唯一伝わる尺八の曲『とっぴき』をアレンジして作りましたが新幹線側は『駅には様々な人が集まる。御鈴は高い音ばかりなので少し低い音も入れて欲しい』と言われて太鼓と他の音を少し入れました」
小林アナ「早く聞きたいです」( 新高岡駅の発着音が流れる)
小林アナ「いいですね。なんか大きな物に包まれ幸せを感じました」
太田さん「最近は、どこの駅も独自の発着音が流れています。しかし、殆んど電子音です。生音は殆んどなく地元の楽器を使った曲はこれだけかも」
関澤  「この発着音を聞きたい人はどうすればいいのですか?」
太田さん「4月27日に『鳳鳴(ほうめい)』がリリスされますが、基本高岡へ聞きにきてください北陸新幹線で」
関澤  「北陸新幹線の新高岡駅の発着音は魂に響く音です」

小さな山里の樹齢800年のシダレ桜
2015/4/17(金) 午後 9:12
ゴールデンウイークのおすすめは、
小さな山里の樹齢800年の西光寺のシダレ桜です。

パンフレットを見ると有名な荘川桜と西光寺のシダレ桜が紹介されていましたが、
西光寺のシダレ桜は高さ10メートルの見事な桜ですが無名です。
桜の見頃は4月下旬から5月上旬と書かれていましたが、近くに福寿草の群生地があり、
見頃は4月中旬から下旬と書かれていたため4月13日観に行きました。
東海北陸自動車道飛騨清見インターから川沿いの細い道路を約10分走った大谷地区は、なんと積雪が40センチもありました。シダレ桜と福寿草の事をいろいろ聞こうと第一村人を探しましたが誰もいません。しばらくするとコミニティーバスが来ました。大谷地区が終点でUターンして帰ります。そのバスの運転手さんに聞きました。

「満開の時期になるとすごい人が来られるのでしょう?」
「殆んど人は来ません。車2台から3台くらいかな」
「本当ですか?」
「私は、一日何回もここを往復してるから間違いない。お客さんも日中は殆んど乗る人はいません。
たまに手を上げられるとビックリします。ほとんど空気を運んでいます」

「今年の見頃何時ごろですか?」
「今年は雪が多く5月中旬になるかも。樹齢800年と言う事は800年間ここの村人が守り育ててきたご覧のように雪も多く枝が折れたり虫が付いたり日々の管理の結果がこの桜です。小さな山里の大きなシダレ桜です。見頃の問い合わせは飛騨清見観光協会
電話0577-68-2338へ、是非観てやって下さい」

直ぐ近くの福寿草群生地はテニスコート3面ぐらいの広さです。
福寿草は、太陽が出ると花びらを広げ中心に熱を集め虫を誘うそうです。
どこかのお父さんの家と同じで、温かい所は便座だけは寒い家には帰らず、
温かいママのお店に行くのかも。

秋篠宮家御一家お忍びで熊料理堪能
2015/4/10(金) 午後 4:36
先週の週間文春に『秋篠宮家の五箇山お忍び旅行』の記事を見つけました。
その記事の中に、御一家が熊料理を堪能されたと出ていましたが、
店名は書かれていませんでした。
そこで私は『五箇山で熊料理と言えば(高千代)さんしかない』と思い、
直ぐお店を目指しました。
お店に入るとマスターに「先日は大変でしたね」とカマを懸けて聞くと、
「えぇーどうして知っているのですか!!?」と大きな声で叫ばれました。
それからマスターのドタバタの話がボロボロと出てきました。
「3月27日の昼に訪れたいと、事前にお話があり、それからが大変でした。
お忍びなので他人に相談する事もできず、開店して35年の店ですからけっして
きれいな店ではないので、3日3晩掃除をしたためヘロヘロになりました。
当日来店されると、緊張して緊張して『普通に、普通にして下さい』と言われましたが
普通の状態が解からなくなるぐらい緊張していました」

「何人来られたのですか?」
「秋篠宮様、紀子様、佳子様、ひさ仁様と御付の方全員で20人でした」

「何を食べられましたか?」
「熊トロ、熊鍋、鹿鍋、キジのやきとり等本当に沢山食べられました」

「佳子様はなんと言われましたか?」
「私は世界で3箇所好きな所があります。その一つが五箇山です」

「紀子様はなんと言われましたか?」
「メニューの裏に、自分が(またぎ)で動物の命をいただいているので『感謝』と『合掌』が書かれているのを読まれて『この文書、素敵ですね』と言われました」

「秋篠宮様は?」
「注文品を出し終えてカウンターの隅でタバコを吸っていると、秋篠宮様も近づいてこられ、タバコを吸われましたので『どうして私の店にこられたのですか?』聞きました。
すると秋篠宮様は『五箇山を訪れるたびにこの店の前を通り、熊料理の大きな看板が
気になっていました。今回やっと望みが叶いました。美味しかったです。また来たいです』と言われました」

私は、熊トロと熊鍋と五箇山固トーフをいただきました。
熊トロはマスターの説明どおり小さなワサビを上の載せて醤油を付けて食べるとスーと溶けました。
熊鍋は、『鍋の中の物で買ったものはトーフとゴボウぐらいかな』と言われましたが、
雪の中から掘り出されたシメジや白菜は、格別な味でした。熊肉は少し固めでしたが
本当に山ノ神の味がしました。次はハクビシン鍋は食べたくないですが、
鹿鍋かイノシシ鍋を食べてみようと思いました。
ジビエ料理に興味ある方は是非お出かけください。安くで美味しいため世界中から来客があります。

今年もツバメが来たァー
2015/4/2(木) 午後 9:47
3月21日、今年もツバメが我が家に来ました。
ツバメは、寒い冬場は温かいフリピンや東南アジアで過ごします。
そして、温かくなると北東アジアを目指し旅立ちます。
しかし、どうして我が家までたどり着くのか不思議です。
そこでいろいろ疑問点を富山ファミリーパークの高橋さんに聞きました。

ツバメのスピードはどれくらいですか?
「カラスや鷹などの天敵に襲われそうになると瞬間的に200キロで逃げます。
 日常は45キロで、渡りの時は50から60キロで一気に300キロメートルの距離を
 飛ぶ事もあります」

渡る途中の餌とか水はどうしていますか?
「島を転々と渡り、島で昆虫や虫を食べ水も取りながら渡ります。
ツバメは体が小さいので天敵から逃れるために単独で低空を進みます。
途中で船や流木で休みながら約3000キロの旅です」

どうして3000キロ離れた我が家に着くことが出来るのですか?
「渡り鳥は全て体内コンパスを持っていて太陽と磁気で移動します。
最初は日本を目指し能登半島まで来るとそこから富山県を目指し小矢部市を目指し、
見慣れた風景のあなたの家を見つけます。
カーナビよりグーグルマップに近くドンドン絞り込み到着します」

ツバメが渡る途中で船で休むと聞き、元富山県水産高校練習船の山本先生に聞きました。
「航海していると時々ツバメが羽根休めため立ち寄りました。
その時は生徒達は『ツバメだツバメだ』と大騒ぎになりました」

そんな長旅を終えて無事巣立った巣に帰っても大変な生活が待っています。
卵を狙うカラスやヘビ、雛がかえると猫など天敵が狙っています。
カラスから巣を守る方法は、縄をツバメは通れるがカラスは通れない間隔で
縄のれんのように垂らすのが効果的です。
ヘビは柱や壁に両面テープを張るのが効果的だそうですが、
難点は、張り付いたヘビを剥がすのが大変だそうです。

私たちは、ツバメが約3000キロの長旅をして又戻ってきた事だけで愛おしく、
何とか守ってやり子供と共に又巣立って欲しいと温かく見守りたいと思います。

日本最多 『小矢部市まちづくり1%事業』
2015/3/27(金) 午後 4:26
春ですね。
春といえば、出会いと別れ、恋、結婚、花粉症など色々あります。
皆さんが活動的になることは確実だと思います。
小矢部市民は、花壇を広げたり、新しい趣味の会を立ち上げたりする時、
『まちづくり1%事業』に申請するのが自然の流れです。
他の自治体でも『まちづくり1%事業』はありますが小矢部市はなんと77団体が、
資金を使い活動しています。

「そもそも『1%事業』とは何か?」
『1%』は、市民税の1%(小矢部市1350万円)を、まちづくりに関して自分で考え
団体を作ってみんなで活動する事業です。

「何故こんなに『1%事業』が小矢部市で盛んなのですか?」
他の自治体でもありますが、金額が大きかったり、いろいろ規制が厳しかったり使いづらい。
小矢部市は、申請されたら精査しますがほとんど認められます。
ほかの自治体の問い合わせや視察もよくありますが上手く行っていない。
これは、活動的な市民性もあるかも。

「認められない事は?」
人件費、工事費、備品代、あくまでも団体で個人と営利目的には出ません。

「どんな事例がありますか?」
桜の木を増やしたい。げきだん町内の道の除草をしたい。小矢部市の情報発信委員会等。

「変わった事業は?」
公衆トイレ掃除に学ぶ会。音訳して録音するニューカナリヤ会。古文書を守り学び会。

「最高額は?」
原則最高額は30万円ですが、事業内容によっては、100万円以上出る場合もあります。

今までの市民は、行政に対してあれもしてくれない、これもしてくれないと文句を言っていましたが、『1%事業』で小矢部市民は、どんどん自分達で考え、楽しく住みやすい街づくりを進めています。これこそ民主主義の原点ではないかと私は思いました。

2時間40分で四鉄道乗りしました。
2015/3/20(金) 午後 4:42
私のカレーショップは、旧8号線、北陸本線、北陸新幹線の脇にあります。
3月14日、北陸新幹線が開通すると13日まで店の前を、トワイライトエックスプレスや
特急しらさぎ等を写真に収めるための『撮り鉄』達が一人も通らなくなりました。
あなたは、様々な鉄道ファンの『なになに鉄』いくつご存知ですか?
写真に収める『撮り鉄』、全ての電車に乗る『乗り鉄』、全ての駅に降りる『降り鉄』
様々な音を録音する『音鉄』、時刻表を研究する『ダイヤ鉄』、『車両鉄』『収集鉄』『食べ鉄』などキリがありません。この中でそれぞれ細分化していて凄い世界です。

3月16日、臨時の『乗り鉄』になり四鉄道を周ってきました。
石動駅から倶利伽羅駅まで(あいの風鉄道)、倶利伽羅駅から金沢駅まで(IRいしかわ鉄道)、金沢駅から新高岡駅まで(北陸新幹線)、新高岡駅から高岡駅まで(JR城端線)、高岡駅から石動駅(あいの風鉄道)の2時間40分の旅でした。
これだけ周ってあなたは料金はいくら位だと思いますか?
1) 4040円  2) 3060円  3) 2390円
正解は2390円です。

手ごろな料金だと思います。これから春休みに入りますから是非、新幹線とあいの風鉄道に
乗られる事をおすすめします。

四鉄道周っての感想は、北陸新幹線の運転手が「一番感動的な所は倶利伽羅トンネルを過ぎて、
小矢部に出た瞬間に見えるクロスランドタワーと立山連峰です」と聞いていたので、注意していると『暗いトンネルを抜けると、そこはメルヘンの国』でした。
問題点は、新高岡駅から城端線に乗り高岡駅までの乗り継ぎ時間がありすぎる事。
金沢から新高岡まで新幹線で14分、新高岡から高岡まで3分、しかし待ち合わせ時間が40分でした。10分間隔でバスが連絡していますのでお急ぎの方はバスで。

『撮り鉄』『乗り鉄』もいいですが、奥さんから『ひじ鉄』されないように。

十三歳の春。『十三詣り』
2015/3/13(金) 午後 4:32
今週のスタジオゲストは、
小矢部市十三詣り実行委員会(代表 太田景子)さんでした。
 
小林アナ「今日は、着物で来ていただいてありがとうございます。その着物は何ですか?」
太田さん「着物は小紋です。私は何時も着ています。着物のほうが楽です」
小林アナ「着物の柄は、桜ですか?」
太田さん「半襟も桜にしてみました」
関澤  「着物は素晴らしいですね。今まで沢山のゲストをお迎えしましたが始めてかも。ロシアの女性が着物を着ると『女らしくなれる』と『着物には季節がある、そんな民族衣装は世界中で着物だけ』と言っていたのを思いだします」
小林アナ「今日来ていただいた『十三詣り』はどんな行事ですか?」
太田さん「昔、十三歳の春になると元服を向かえ、大人への仲間入りをしました。関西では七五三より盛んな地域もあります。十三歳の春に虚空蔵菩薩にお参りすることにより、知恵とその後の幸せを頂けます」
小林アナ「何時、どこでありますか?」
太田さん「4月5日、小矢部市本行寺で行われますが着物を着た女の子達が約1キロほど街中を歩きます」
小林アナ「いくら位かかりますか?」
太田さん「参加費は5000円です。子供は稼ぎが無いため『一文字祈願』をします」
小林アナ「『一文字祈願』はどんな事ですか?」
太田さん「自分の好きな一文字を半紙に書き4つ折にして襟にはさみ、住職の特別祈願と話の後奉納します」
関澤  「みんなどんな一文字を書きますか?」
太田さん「だれも見ることは出来ません」
関澤  「残念!13歳の女の子がどんな一文字を書くのか非常に興味がありましてーー
小林アナ「私にも女の子がいますから13歳になったら参加させたいです」
太田さん「是非参加してください。女の子が振袖を着て皆さんからいろいろな賛辞を聞くと、自分に自信を持ち急に大人っぽくなります。変わりますよ」
関澤  「女の人はこの頃からドンドン変わっていくのですね」
小林アナ「本当に男は何時までも変わらず子供です」
関澤  「スイマセン」(大笑い)

『浅草寺の黄金の御本尊は砺波市出身!?』
2015/3/6(金) 午後 4:34
北陸新幹線の開業まで数日となりました。
開通する東京と北陸が本当に近くなります。

去年の11月の私の番組で東京浅草寺の境内の中に、小矢部市出身の
大谷米太郎夫婦の胸像があると紹介して、大変な反響を頂きました。
今回は、もっと驚きの話です。
それは、『浅草寺のご本尊は砺波市出身である』と言う話です。
何人かの砺波市市民に聞くと「知らない」「聞いた事も無い」などのオンパレードでした。
私は、最初に砺波市観光協会に行き聞きましたが、アルバイト風の女の人は
「知らない。そこに砺波市文化財マップが有ります」
マップをよく見ると、浅草観音発祥伝承地と書いてありました。

マップを頼りに砺波市東保に行くと宮崎ぶどう園近くに小さな公園がありました。
その公園には、砺波市の黄金の観音像が浅草寺のご本尊であると認めた石碑が
あり、石碑の上部にご本尊の分身がはめ込まれていました。

なぜ砺波市から浅草寺へご本尊が行ったのか?
その疑問を解決すべく砺波市教育委員会学芸員の 野原大輔さんに聞きました。
「昔、砺波市東保に常福寺がありました。そこの観音堂に1寸8分の黄金の観音像がありました。
その観音像を行商人が盗み出し、それをまた盗まれ、その盗人が隅田川で遭難して、
隅田川に落してしまいました。
その観音像が隅田川の兄弟の漁師の網にかかり、すくい上げられて祀られたのが始まりです。
ただし、高知県、静岡県、奈良県、愛知県にも観音伝承があります。
しかし、毎年8月20日の『観音まつり』は浅草寺に認められた昭和5年から80年間続いていますし、『観音米』を作り毎年浅草寺に奉納されています」

年間800万人の参拝客がある浅草寺の境内には小矢部市出身の大谷夫婦の銅像、
砺波市出身のご黄金の御本尊、北陸新幹線より身近に感じました。

『ポールウォーキング』?
2015/2/27(金) 午後 8:20
今週のスタジオゲストは、日本ポールウォーキング協会理事の澤田 基夫さんでした。
小林アナ「普通のウォーキングは知っていますが、ポールウォーキングは何ですか?」
関澤   澤田さんはポールさんで澤田さんが歩くとポールウォーキングではありません」(笑)
澤田さん「ポールウォーキングはスキーのストックのようなポールを2本持って歩きます」
小林アナ「私もチョット歩いてみたいです」(スタジオの中を歩く)
小林アナ「背筋が伸びて姿勢良く歩けますね」
澤田さん「人間は2本足で歩きます。ポールがあると4本になるので姿勢が良くなります。中高年になると姿勢が悪くなります。しかし殆んどの人はそのまま生活を続けます。すると、膝や腰や肩などが痛くなります。ポールウォーキングを始めると姿勢が良くなり痛みも改善し、姿勢も良くなり若返ります。また、全身運動になるためダイエット効果もあります」
小林アナ「ポールウォーキングは、何時から始まりましたか?」
澤田さん「北欧では、ノルデックスキーが盛んです。夏のトレーニングでポールを持って走ります。これはスポーツですが、私がヨーロッパに滞在中に、これをウォーキングに使えないかと思いました。日本に帰り日本ウォーキング協会を立ち上げて4年です」
小林アナ「反響はどうですか?」
澤田さん「着実に人気上昇中ですし、愛好者は年々増えています」
小林アナ「何か問題は有りますか?」
澤田さん「やはり日中ポールを持って歩いていると『どこか怪我をしたの?』とか『新しい杖?』『おかしいよ』とか言われるのが問題です」
関澤  「ある愛好者は、目立たない夜か山道でポールウォーキングを楽しんでいらっしゃる」
澤田さん「モット普及すると括弧よく見えるはず。最近は植物公園やクロスランドなどで楽しんでいます」
小林アナ「参加してみたい人は、どうすればいいですか」
澤田さん「日本ポールウォーキング協会のホームページから参加してください」
関澤  「澤田さん出身の小矢部市がポールウォーキングの街になれば良いなぁ」

67歳、田中さん今年4人目誕生
2015/2/19(木) 午後 8:11
今週の話題は、小矢部市の田中さん夫婦に今年8月4人目が誕生します。
田中利行さんは67歳、奥さんの彩さんは34歳です。
田中さん夫婦は、大阪出身で冬場の救助隊として、日本と季節が反対のニュージランドへの
往復を7年間続けた雪男です。
「田中さんの今の仕事は?」
「林業です。重機に頼らない木の伐採や管理をしています。ニュージランドで学びました」
「67歳で4人目のお子さん凄いですね」
「欧米では、出来た子供は自然のままにと考えます。日本人はキチキチに、
考えすぎだと思います」
「お子さんが20歳になると田中さんは87歳大変ですね」
「奥さんからチャントお金を貯めといてと言われています(笑い)」

奥さんは、3歳の男の子と1歳の双子の赤ちゃんをアヤシナガラ
「なんとかなるでしょう。考えてもしょうがないし、それよりも子供に囲まれた生活が幸せです」
「奥さんは、自宅出産と聞きましたがどうしてですか?」
「私は、小矢部市のこの場所が好きなのでここで生みました。
助産師さん、看護婦さん等全員が初めてでしたから大変でしたが、
無事生まれた時は、私も含め全員が感動で泣きました」
「双子のお子さんも自宅出産ですか?」
「流石に双子は、リスクがありすぎると病院で出産しました。しかし今年8月は自宅出産のつもりです」

私は、温かい薪ストーブに暖められながら、田中夫婦のゆったりした気持ちと生活を感じ、
日頃のあくせくした生活を反省させられました。
みんなが田中さん夫婦のようになると、日本の少子化も止まると思います。
『みなさん、もっと勇気を!!人生は何が起きるかわかりません。だから面白い!!』

子宝の平瀬温泉『かってこ雪花火』
2015/2/13(金) 午後 4:30
先日、平瀬温泉の田口夫妻が来店され2月21日に「『かってこ雪花火』を
開催しますがラジオで紹介して欲しい」と言われました。

「『かってこ』は、どんな意味ですか?」と私が質問すると、
「これからの季節、雪の表面が溶けて夜の冷え込みで凍りカチカチになり、
その上を歩いても埋まらずスイスイと歩ける状態を平瀬では『かってこ』と言います」
「それは、私たちの所の『空足』ですね」
「素敵で詩的な言い方ですね」と奥さん。
「子供の頃、この状態になると子供は大はしゃぎで走り回りました。
富山県内でも様々な言い方があります。県東部は『しみしみばんばん』、
高岡地区は『かた雪わたり』、砺波地区は『すんずら、空』と言います」

「ところで平瀬の今の積雪は?」
「約2メートルあります」
「今では高速道路も付いて便利になりましたが、昔の生活は大変でしたか?」
「冬場は、孤立状態です。病人が出ると、病人を戸板に乗せ山を越え峠を越えて
白川村の診療所まで運びました。
赤ん坊は、お母さんが負ぶって行きましたが、途中で背中の赤ん坊が冷たくなり、
病気を治すつもりが診療所で死亡診断書をもらって帰った事もよくあった。
冬場に赤ん坊が生まれても出世届けが出せず雪が溶けた3月生まれが多かった」

「『かってこ雪花火』のおすすめは?」
「去年、埼玉県で開催された『全国鍋グランプリ』でグランプリを取った、
『すったて鍋』が食べられます。
「『すったて鍋』はどんな鍋ですか?」
「大豆を煮てすりつぶし、それと地元野菜を鍋に入れその上に飛騨牛を乗せた、
美味しくて体の温まる鍋です」

「平瀬温泉は、体が温まるため『子宝の湯』と言われていますね。
これに体の中から温まる『すったて鍋』を食べれば少子化対策にピッタリかも(笑い)」

『おひな様』を送る喜び
2015/2/6(金) 午後 5:25
今年の1月2日に長女に娘が生まれました。
長女が2歳半の男の子と赤ん坊を連れて里帰りしたため、
正月からてんやわんやでした。

先日、私と家内で『お雛様』を買いにおもちゃ屋さんに行って来ました。
店に入るなり家内は「ワァーこの御内裏はイケ面で素敵!!」
「こちらの着物の柄がとても素敵!!」と驚嘆の声を上げました。
毎日スーパーのチラシを並べて「ここが3円安い」「ここがポイント5倍」とか
言っている家内とは別人でした。
私は、物陰に家内を呼び寄せて「アンタさっきから素敵、素敵と言っているけど
値段もとっても素敵ですよ。誰がお金を出すの?」
「それは、あんたでしょう」
「どんなクラスが売れ筋ですか?」と私が聞くと、店員さんは
「75パーセントがお内裏さまの2人で一段です」
「2人の一段なんて寂し過ぎる、私のは7段飾りよ!!」と家内は叫ぶ。
店員さんは「人数が増えると金額も上がりますがーーー」と私の財布を考えて言うと
「せっかく送るのだから3人官女付きの3段飾りぐらいにしないと」と譲らず。
私は「娘に聞いてみよう」とケータイで聞くと、やっぱり親子ですね「せっかくなら3段飾りがいい」とそれで3段飾りに決定しました。

そんな家内との、どたばたを店のお客さんに話すと、
「羨ましいわ、自分の家には38歳の娘と41歳の息子が独身でいる。
婚期が遅れるといけないと思い、収納の期日はしっかり守ったのにーー。
うちに『おひな様』を送る日が来るのか心配」とお客さん。

私はかなりお金を使いましたが、娘が結婚して子供が生まれないと買えない『おひな様』を買う事ができ深い感謝と喜びを感じました。

『物を売るバカ』の話
2015/1/30(金) 午後 9:14
政府発表では、「景気は回復しつつある」と言われていますが、
私の周りの経営者は、建設関係以外は厳しいと言っています。

先日本屋に立ち寄ると『物を売るバカ』という本が目に入りました。
バカと言う言葉に敏感に反応する私は本を手にしていました。
その本には、これまで、商品を売るには価格、品質、広告などで売ってきたが、
時代は変わり物が売れない時代では、『物を売らずに物語を売れ』と
書かれていました。
日頃から人は、何で動き、何で買い物をするのかを考えている、
私には目からウロコでした。
例えば、金沢、福光、福野、小矢部に『どじょうの蒲焼』があります。
何も知らない時は、地方の変わった食べ物と言う印象ですが、
この『どじょうの蒲焼』が江戸時代の加賀藩が隠れキリシタンを保護していた時、
隠れキリシタンが生活のために売り出した物語を聞くと、蒲焼の印象がまったく
変わってくると思います。だから元加賀藩しか売っていないのも納得できます。
また、コーヒーを飲む時、100円でコンビニで引き立て入れたてのコーヒーが飲めます、
それなのに何故なじみの喫茶店に行くのでしょう?
他人の物語を聞きたい、話がしたい、ゆっくりしたい、本を読みたい等様々な理由があります。
究極は長野県の善光寺です。『牛に引かれて善光寺参り』これは、強欲で嘘つきのおばあさんの洗濯物が風でひらひらと牛の角に引っかかりその牛が善光寺を目指して走り出し、強欲ばあさんは牛の後を追いかけて善光寺参りをした。その後おばあさんは人が変わったように、素直でやさしいおばあさんに変わったと言う物語がありました。
江戸時代からこの物語で年間数百万人のお参り客を集めています。

その店、商品、経営者の物語を掘り起こして磨きをかけて話していく事が大事。
絶対してはいけない事は、嘘の物語は作らない事です。
嘘がばれた時の反動が余りにも大きいからです。
いい例が、皆さんご存知の昨年の『盲目の音楽家』です。

私の店にも色々な物語がありますが、余り忙しくなると老夫婦にはきついです。

映画『ひまわり』
2015/1/24(土) 午後 5:34
今週のスタジオゲストは、小矢部の炭焼き 美谷克美 さんでした。
炭焼きの話ではなく、沖縄は忘れない あの日の空『ひまわり』の映画の話でした。
映画は、1959年6月30日、突然、米軍のジェット戦闘機が炎上しながら、
沖縄、宮森小学校に墜落しました。
学童11名、住民6名のいのちが奪われ重軽傷者210名という大惨事がありました。
さらに2004年8月13日、米軍大型輸送ヘリが沖縄国際大学に墜落、幸い負傷者は
有りませんでしたがしかし、あわや大惨事になるところでした。
二つの米軍機墜落事故をモチーフに、日本の平和とは何かを問いかける作品です。

小林アナ「何故この映画の上映しようと思われましたか?」
美谷さん「今、沖縄には本土では知らされていない様々な問題があります。少しでも沖縄に関心を持ってもらうために計画しました」
関澤  「私は1959年に、こんな悲惨な墜落事件があった事は知りませんでした。沖縄国際大学墜落は報道で知っていましたが、日本側に調査をまったくさせなかったのを昨日のように思い出します。だから、オスプレイ配備も神経質になるのも解かるような気がします」
小林アナ「日本の平和を考えるのにいい映画かも知りませんね」
美谷さん「映画は、NHK朝ドラの『あまちゃん』でヒロインの能年玲奈さんが朝ドラに出演する前の無名の時です。しかし、いい演技をしています。沖縄は、殆んど報道されていませんが今日も辺野古で陸と海で住民と工事関係者との攻防が繰り広げられています。関澤さんに取材に北日本放送から派遣して欲しい程です」
関澤  「私は派遣されると観光に重点を置いて仕事を忘れるかも」
小林アナ「関澤さんは沖縄からどんな報告をするかわかりませんから危なくて無理です」(大笑い)
美谷さん「暗い映画ではなく明るく元気が出る映画ですからぜひ見てください」
小林アナ「映画は、2月8日、小矢部総合会館、2月9日砺波出町子供歌舞伎会館で上映されます。みなさん是非お出かけ下さい」

『合掌村の雪地蔵を神戸へ』
2015/1/15(木) 午後 9:07
15日来客のお客さんが「昨日、西宮市から帰ってきたけど震災から20年過ぎたけどまだまだやなぁ」と、言いました。
私が「西宮に何しに行った?」聞くと、「手作りの椅子とテーブル納品に行った。
メーンストリーはキレイになっているが町中に入ると少し傾いた民家やマンションがあり、
納品の椅子も足にパッキンをかまして納めて来た。
また、メーンストリーの建物は、物資不足の中慌てて建てたから20年過ぎるとバタバタの建物もある」
震災から20年過ぎると様々な問題が出てきている。

兵庫県西宮市安川小学校校区の人たちが、
『1,17は忘れない。震災20年鎮魂の雪地蔵作りと交流雪祭り』を開催のため、
ヤングネット富山に雪の搬送の依頼が来ました。
17日の雪地蔵まつりに間に合わせるため、15日富山県たいらスキー場の雪をトラック4台に積み込みました。
スキー場へ取材に行くと平地は雨、城端ではミゾレ、たいらスキー場は雪、それも4メートルも有り、トラック4台分積んでもまったく減らずでした。
夜、出発して16日朝、西宮市安川小学校到着。
グランドに雪を降ろしてトラックは帰りますが、それから鎮魂の89体の雪地蔵作りと雪の滑り台を、住民、子供たちと作ります。
89体の雪地蔵は震災で校区で89人が亡くなられたためです。(合掌)

たいらスキー場の雪は、雪地蔵に全国で最適の雪です。
平村は、両手を合わせた形の合掌作りの家々がある世界遺産の村です。
雪地蔵に合掌村の雪、本当に鎮魂になると思います。

今年最初のスタジオゲスト
2015/1/9(金) 午後 4:52
明けましておめでとうございます。
今年一年、あなたにとっていい年でありますように。

今年最初のスタジオゲストは、津軽三味線の<中山隆司><安藤有紀子>さんでした。

小林アナ「中山さんが津軽三味線を始められたきっかけは?」
中山さん「津軽三味線の生演奏を聞いて感動して是非弾いて見たいと思いました」
関澤   「中山さんは、高岡駅の地下道で毎日演奏されていましたが何年ほど?」
中山さん「約13年やっていました。その後少しずつ仕事が来てなんとかなるようになりました」
小林アナ「名前は違いますが、お二人は夫婦ですね。どこで知り合いましたか?」
安藤さん「中山さんがいる地下道で。それまで三味線なんかまったく聞いた事が無かったけど、『いいな』と思ってよく地下道に通っていました。ある時『ちょっと弾かして欲しい』と言うと直ぐ引かしてくれ『いやー上手い!!あんた素質あるわ』と、その言葉に騙され結婚までする事になりました」
関澤  「中山さんの三味線の音が安藤さんのハートを弾いたたと言うことですね」
お二人 「えへえへ。子供も出来ました」
小林アナ「それでは、最初の演奏の次は津軽ジョンガラ節を引いていただけますか?」
関澤  「その前に、中山さんのCD『まつりのあと』をぜひ聞いて欲しいです。祭りの歌は沢山ありますが、祭りの後の歌はまず無いのでは。祭りの男の気持ちじつに上手く歌っていて共感す所沢山ありますので是非聞いて欲しい」
小林アナ「三味線弾かなくていいですか?」
お二人 「CDの方をお願いします」
小林アナ「最初の歌詞は、『祭りが終わったその夜は、太鼓の響きが忘られぬご馳走つまんだ箸持って、皆でチャンチキ茶碗打ち祭りが終わったその夜は、太鼓の響きが忘られぬ本当に太鼓を叩いたら、隣の親父に怒られた』面白そうですね。それではスタート」(途中から音が飛ぶトラブル)
小林アナ「関澤さんが持ち込んだCDなので音が飛び失礼しました」
安藤さん「いえいえこんな美味しい紹介の仕方は貴重です」
関澤  「今年の最初の番組で音が飛んでしまって、羊年で飛びます飛びますという事で」
みんな( 大笑い )

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