Yahoo Blog 『ぬくーい話』 2014年過去ログ

わが街のトップニュース
2014/12/26(金) 午後 9:31
(小矢部市)
       3月3日、北陸自動車小矢部川サービスインターで死者2人を出す大事故がありました。
       バスの運転手の過労運転ではないかと言われました。
       私は、『運転手の人はどんな仮眠室で仮眠しているのだろう?』と
       思い、加越能氷見営業所へ高速バスの仮眠室の取材に行きました。
       仮眠室は、畳一畳ぐらいの広さがあり高さは1メートルぐらいあり、
       エアコンと防音設備もついていました。
       運転手と仮眠室はインターホンで繋がっていて何かあった場合は連絡出来ます。
       私は、仮眠室に寝させてもらいましたがカプセルホテルより広く快適でした。
       事故後安全基準がより厳しくなりましたから安心してお楽しみ下さい。
(南砺市)
       合併10周年で様々な行事がありましたが、
       私は、利賀SCOTが20周年を迎えました。
       昭和51年に早稲田小劇場が利賀に本拠地を移してから約40年になります。
       これは、鈴木忠さんを中心に利賀の村民のマネの出来ない協力の賜物と思います。
       今では、野外劇場を中心に大小4つの劇場、練習場、宿泊所、など演劇の全てがそろい
       本当の現代演劇のメッカになっています。
       9月28日に、演劇鑑賞のため利賀村にクネクネの山道を登って行きました。
       『世界の国から今日は』は世界でも珍しい花火が演出されますが、 
       今年は、最初、中間、最後とまるで花火大会のようでした。
       又、小雨が落ちそうという事でお客さん全員にカッパと防水の座布団のプレゼントでした。
       そして、演劇が終わるとお客さん全員が舞台に上がり鏡割りをして振る舞い酒で
       盛り上がりました。
(砺波市) 
       砺波工業高校機械工学部が全国ロボット大会で準優賞しました。
       取材に行くと、先生、講師、生徒さんが温かく迎えてくれました。
       戦いのルールは毎年変わりますが今年は、プラスチックボトルを飛ばして
       相手チームのバスケット網に入れて点数を争います。
       しかし、網が入られまいとして動き回るため動きを読んでシュウートします。
       見ていて興奮するぐらい激しい戦いでした。
       部長に「準優勝の勝因は何ですか?」と私が聞くと「ズバリ、チームワークです」
       「どんな事がありましたか?」
       「工学部から同じロボットを2台持って行きましたが、1台が対戦中にトラブルで負けました。
        その時に『同じ箇所がトラブルになるかも知れないから補強しようと全員で直した。
        また、負けた相手の弱点の情報を元に研究して対戦して勝った」
        「将来、ロボットの仕事をしたい人? 」
        「したいけど会社が採用したくれないかも」(大笑い)
       私も色々質問して、若い頃の物作りの熱い思いを思い出しました。

       皆さんにとって来年がいい年でありますように。

『石川県は相撲王国』
2014/5/16(金) 午後 9:36
石川県穴水町出身の『遠藤』が連日、全国の相撲ファンを
釘付けにしています。
石川県には、伝説の輪島を初め、出島、栃の洋など
力士の宝庫です。

『何故?』
秘密を探るため石川県津幡町の『八朔相撲係』に取材に
行ってきました。
津幡町の人に『八朔相撲』と言っただけで『八朔の時は—』と
それぞれの『八朔』を語られます。それほど津幡町民にとって
無くてはならない行事です。

私の津幡の友人は「自分が小さい時、八朔を見に母親と一緒に行った時、
余りの人手に母親は迷子にならないように『スカートから手を離したらあかんぞ』と
言われていたのに気が付くと違う女性のスカートを握っていて迷子になりました」
又ある人は「生まれて初めてラムネを飲んだのは八朔でした。しかし、全部あげてしまい
『これは人間の飲み物ではない』と思った」
「部落の人が優勝すると3日3晩飲み明かしていた」など様々です。
(八朔相撲は、安土地桃山時代から続いていましたが昭和45年より
全国社会人相撲大会にグレードアップ)

『八朔相撲係』の担当は長井さんです。長井さんは、津幡町出身で子供相撲教室から
中学、高校、大学、そして今は津幡町職員と相撲コーチです。
「自分がこれほど相撲に関われたのは津幡町のおかげです。
就職までさせていただいて、ありがたいです」
「何故、石川県から有名力士が沢山出るのですか?」
「石川県は相撲の裾野が広く指導者も沢山います。そして、みんな相撲が好きです。
5月25日は、高等学校全国相撲金沢大会があり、
8月3日は、全国社会人相撲大会、それに続く全国大学相撲大会があり
全国大会の殆んどが石川県で開催されます。
私は今、子供相撲教室のコーチをしていますが『遠藤』の人気はすごく、目標が有る
事はいい影響を与えています」
そして、長井さんに案内されたのは町民体育センター内にある室内相撲場でした。

全国の小学校にあった相撲場はほとんどなくなりました。
しかし、石川県では相撲場は少なくなりましたが室内相撲場を持って日夜稽古しています。
やっぱり『石川県は相撲王国』だと納得しました。

遠藤が横綱を破り座布団が乱舞するのを又見たい。我が家では毎日、茶碗が飛び交っています。

『わが町の自慢のお店』
2014/5/9(金) 午後 9:02
全国で今、凄い勢いで小売店が消滅しています。
富山県統計では年間約5百店です。
しかし、
各地には、老舗の店や地元で愛されている店が沢山有ります。
「自分には直せない靴はない」と言う靴屋のオヤジの店。
「喫茶店だけど、コーヒーではなく触れ合いを売っている」と言うマスター。
「店には、昭和の初め頃の小間物あるよ」と言う店主など。
あなたにも必ず心当たりがあるはずです。

そこで、今月から新しい企画で『わが町の自慢のお店』の
シリーズを始めました。
最初の町は福光町です。
5月5日に取材に出かけました。
最初は、金沢、高岡等の遠方からお客さん買いにこられる
焼き魚で有名な魚屋さんに行きましたが『取材拒否』。
次は、『美人親子が経営する老舗呉服屋さん』です。
その店は、福光町本町通りにある創業150年の『和多屋』さんです。

「いらっしゃいませ」と明るい元気な声で迎えられて入店すると、
『おおお』と思わず声が出るほど美人の親子でした。
「着物はそんな売れる物ではありません。お客さんが集まってきて
ワイワイとおしゃべり出来る場所提供です」と笑いながら、
出されたお茶が「うまい」と思わず声が出るほど美味しかったです。
私は、そのお茶に奥さんのお客さんに対する『こころ』を感じました。
「沢山のオシャレな小物がありますが、リスナープレゼントありますか?」と
聞くと「5月31日まで全商品2割引にします」「えぇー2割引ですか?
1割引でいいのでは」と私が言うと「放送されたのですから記念に
2割引でいいです。1000万円の着物も同じです」と奥さん。

奥さんは、ウエストは細い人でしたが『太っ腹』でした。
「これからは浴衣のシーズンで、最近は男性の浴衣も人気です。
朝方、買いにこられても浴衣は買えます」と
笑いながらユーモアたぷりの娘さんでした。

あなたの『わが町の自慢のお店』を紹介してください。
直ちに取材に出かけますのでよろしく。

「都会は子供を育てる環境ではない」
2014/5/2(金) 午後 5:35
5月5日は、こどもの日。
最近、公園や街中で子供達を見かけなくなりました。
これは、少子化もありますが外で遊ばなくなったためです。
文部科学省のデータでは、10年間で
キャンプをした事があるは30パーセント、
昆虫採集をした事があるは50パーセント少なくなっています。
外遊びより内遊びが増えています。

内遊びの子供は、『忍耐力が乏しく切れやすく暴力的になりやすく自己中です』
外遊びの子供は、『忍耐力があり道徳心、正義感が旺盛であり他人中です』
(文部科学省資料)

私の知人が東京の超一流企業を退職して家族で帰ってきました。
なぜ?
「東京は人、人、人であふれています。しかし人間関係は希薄です。
まるで人々が『能面か顔なし』のようでした。
子供がジャガイモはどんな木になっていると聞いてきた、
又、一日中『静かにしなさい!静かにしなさい』と言っていました。
『こんな環境で子供を育てなくない』と思い帰ってきました。
2年過ぎた今、毎日大きな声で走り回り積極的になりました」

ある人は「子供を見かけないのは、みんな塾へ行っているからで
勉強第一、成績第一だ。一流高校、一流大学、一流企業のコースこそ全てだ」
たしかに、まだまだこのように考える親は多いと思います。
しかし、
最近の新入社員は約一年で半分は退職します。上場の一流企業でも同じで、
人事担当者を悩ませています。
これは、外で遊ぶ機会の少なかった子供に『生きる力』が備わっていないためと文科省は発表しています。

私も思います、長い人生で様々な事が突然降りかかって来ます。そんな時に
耐えて生きていくために『生きる力』が最も大切です。

「ヨーロッパ美術は終わっている」庄田 雷寛
2014/4/25(金) 午後 9:38
「ヨーロッパ美術は終わっています。ヨーロッパは
昔の遺産で食べていると思います」と本音トークで
始まったのは、今週のゲスト 庄田 雷寛さんでした。

庄田さんは、4月20日から5月18日まで石川県立美術館で
開催されている『革新の視座』に出品されています。
この美術展には、金沢美術工芸大学の卒業生5人の
学生時代の作品から現在までの作品が展示されています。
作家の方々は、世界的現代アート作家の(加賀谷 武)さん。
22種類の黒鉛筆を駆使して書く(木下 晋)さん。
鋳金で1991年文化勲章受賞の(蓮田 修吾郎)さん。
土の可塑性を生かした現代陶芸の(久世 健二)さん。
鮮やかな色彩と緻密な線の油絵の(庄田 雷寛)さんです。・
全員65歳以上です。「なぜ若い作家がいないのですか?」と聞くと、
庄田さんは「みんな小振りになり飛び抜けた若い作家が育っていないから」と、
その他過激な発言が相次ぎ、私と小林アナは軌道修正が大変でした。

私は、飛びぬけた作品を作る作家は、性格も飛びぬけてないと作れないのかと
思いました。
あなたも是非鑑賞して『非日常』を体験してください。

古川祭り『お越し太鼓』
2014/4/17(木) 午後 5:10
約1000人の若い男衆が上半身裸にサラシを巻いて、
大太鼓の屋台に群がります。
それが、古川祭り『お越し太鼓』です。

今年の古川祭りは、4月19日と20日に行われます。
私は、5年前に観に行きました。
神社の境内には、約1000人のサラシ姿の若衆と、
約80センチの大太鼓を載せた屋台の上に2人の若衆が
サラシを巻いてまたがっていました。
手には、長さ約90センチのバチを持っていました。
夜9時に神事が始まり9時30分より打ち出しを合図に、
(今年から1時間早くなり、打ち出しは8時半です)
『お越し太鼓』各町内に出発です。
『お越し太鼓』は、古川祭りの9台の曳山の準備を促すために
始まったと言われています。

『お越し太鼓』の屋台が町内に入ってくると、長い丸太に小太鼓を縛りつけ棒を
持って待っています。
屋台が近づいてくると、付け棒を持って我先に屋台に近づきます。
先に屋台に付ける事ができると名誉とされているため先陣を争います。
『お越し太鼓』の当番町内は屋台に近づけさせない為に防衛します。
攻める側、守る側、町の名誉を賭けた戦いです。

私は、暗闇の中に浮かび上がる丸い大きな『お越し太鼓』と、
無数の若衆が付け太鼓を我先に屋台を目指す様は、
卵子に群がる精子のように思われ『命の原点』のような祭りでした。

この祭りは、全国でも珍しい奇祭のため北海道から沖縄まで、
又近年は海外からのお客さんも増えています。
あなたも是非お出かけ下さい。

究極!!ゆるキャラ『キャラ弁』
2014/4/12(土) 午後 9:18
あなたは富山県小矢部市の、ゆるキャラ『メルギュー君、メルモモちゃん』を
知っていますか?
『メルギュー君』は、小矢部市稲葉山牧場にいるメルヘン牛に、
牛の頭にタイマツを付けて平家を滅ぼした「火牛の計」から
タイマツを付けたカワイイ牛です。
『メルモモちゃん』は、全国でも珍しいメルギュー君の恋人です。
結婚させたいのですが、なかなか難しくまだ結婚はしていません。
そんな『メルギュー君』と『メルモモちゃん』が『キャラ弁』に
なって売り出されることになりました。

今週のスタジオゲストは、『キャラ弁』制作メンバーの、
小矢部市商工会小矢部支部の船本さんと職員の山本君でした。

アナ「なぜ『キャラ弁』を作ろうと思われましたか?」
船本「『メルギュー君』と『メルモモちゃん』がとってもかわいいし、
   キャラ弁にしてもっと有名にしたかった」

アナ「食べるのが申し訳ないくらい可愛いのですね」
船本「女性部のメンバーで何回も試作しました」

アナ「この顔とタイマツの食材は何ですか?」
船本「顔は鶏肉のソボロ、鼻から下は卵のソボロでタイマツは
   人参をタイマツの型抜きにしました」

アナ「苦労された事は?」
船本「意見を言う人は、好きな事を言います。顔が大きい小さい、
   味が濃い薄い、もっと可愛い顔に等、ギュウギュウに言われ、
   そのつど試作試作でした『実験ノート』は取っていませんでしたが(笑い)」

アナ「このキャラ弁は何時販売ですか?」
山本「4月13日、城山花見まつりで一個700円で販売されます」

『メルギュー君』『メルモモちゃん』いずれもとても可愛いキャラ弁です。
二つセットで買われてお土産にされると家族の喜びも付いてきます。

『縄文人に学ぶ』
2014/4/4(金) 午後 9:00
長野県茅野市の『縄文のビーナス』に続き、
『仮面のビーナス』が国宝指定されます。
そこで、
今日は『縄文人に学ぶ』新潮新書 上田篤さんの本を
参考に驚きの話です。

あなたの縄文人のイメージは?
「毛皮を着て髪の毛ボウボウでこん棒を持って走り回っている」
ほとんどの人はそんなイメージだと思います。
しかし、現代の日本人は縄文時代約1万3000年の遺伝子によって、
突き動かされています。

(土鍋料理)
縄文土器は逆円錐状で囲炉裏の横に突き刺し、輻射熱で煮炊きしました。
鍋の中に獣の肉や魚や季節の山采などを入れて食べていました。
土鍋で煮ることによって、固い肉や固い食材などが柔らかくなり、
老人や子供達が栄養を取りやすくなり人口が増えました。
一つの鍋をみんなで囲む文化は世界中であまりみられません。

(物つくり)
日本人の物つくりは、飛びぬけています。
石の矢じりや有舌石器(長さ15センチの薄い舌型の槍の刃)は、
何十年も研究家が挑戦していますが同じ、石器が作れないと嘆いています。
細部にこだわる物つくりは縄文時代から。

(旬を食べる)
貝塚にあるハマグリやあさり等は、ほとんど4月から6月までの一番美味しい時期の
貝殻が70パーセントです。貝は一年中あるのに。
日本の高級料理店にはメニューはなく、季節季節の旬の物が出されます。
魚や山采や木の芽等、縄文時代も今も変わず旬を、ありがたく嬉しくいただいています。

(カアカア天下)
縄文時代は、一夫一婦制の家族制度ではなく、
女性中心の母系社会であったため竪穴住居には、祖母、母、娘、娘の子供達が
住んでいました。
女性達は、祖母の世話、子供の世話、食物採取、火の管理、食物管理等、
縄文土器つくり、衣類つくりなど、
一日中休む暇なく働きました。
男達は、イノシシや鹿や熊などの大型の動物を追って何日も集落にいませんでした。
集落にいる時は、夜『夜這い』をかけましたが誰でもいい訳ではなく、
決定権は女性にありました。
はぐれた男は、珍しい石を磨いたり加工して首飾りや耳飾や珠を持って旅に出ました。
そのために、新潟県姫川のヒスイが青森県三内丸山遺跡からも出土していますし、
ヒスイは全国に散らばっています。
集落でも狭い範囲では『血が濃く』なるため、はぐれ男は歓迎されました。
私は思います、
男たちが今も変わらず浮気をしているのは、縄文時代の遺伝子のなせる業?
本当は浮気をしたくないけれど、遺伝子に突き動かされてしているため。
また、
縄文時代も現代も『母』は『太陽』であり絶大です。

『ほたるいか』の交接
2014/3/28(金) 午後 3:53
温かい日が続きますと、いよいよ富山湾滑川の
ほたるいか漁が始まります。

いろいろの疑問を、滑川にある『ほたるいかミュージアム』の
小林 昌樹さんに聞きました。

ほたるいかは何故光る?
「ほたるいかは(非常に小さいため自分を守るため光る)と
(水面と同じ色にするカモフラージュ)と
(いか同士のコミュニケーション)と言われています」

富山県産のほたるいかは県外産と比べて大きいのは何故?
「富山県産は99パーセント『メス』で定置網で獲られます。
県外産は、魚群探知機で探し『メス』も『オス』網で一網打尽に獲ります。

富山県のほたるいかの『オス』はどこにいますか?
「富山湾の底です。『オス』は自分の精子の入った袋を『メス』の胴体の下に
腕を差し入れて注入すると死んでしまいます。
逃げようとする『メス』を他の8本の腕でガッチリ捕まえて(うらやましい)注入します」

富山県滑川では何故定置網で獲れるのですか?
「お腹に卵を抱えた『メス』は深海では水温が冷たいためプランクトンが少なく
発育も悪いため、暖かい日に海岸近くに上がって来ます。
お腹には約1万個の卵を抱え一回に2000個生みますから
何回か往復していると定置網に掛かります。
その『ほたるいか』をミュージアムで生きたまま展示していますが、
3日間の命ですから毎日スタッフが定置網から獲って来ています。
『ほたるいか』の一生で最後の光を見てやってください」

真っ暗なミュージアムの網を引き上げると青白く幻想的な光が
点滅しました。
私は、『ほたるいか』の生涯最後の、愛おしく健気な光を見て
涙が出るほど感動しました。

世界で『ほたるいかミュージアム』しか観られない発光ショーは
5月31日までです。

『120人の懐かしの感動の歌声』
2014/3/20(木) 午後 9:32
今週のスタジオゲストは、
3月16日(日)津沢コミュニテープラザで
『みなうたオヤベ』を開催されました。
その代表の(柴田正人)さんと世話人の(福井進)さんでした。

「『みなうたオヤベ』はどんなイベントですか?」
「判りやすく言えば、歌声喫茶みたいに参加者全員で
懐かしの歌を歌うイベントです」

「なぜ、そんなイベントをやろうと思われましたか?」
「日頃の生活で、お腹の底から大きな声で歌うことが無い。
なつかしい歌を大きな声で歌うことによって脳の
活性化になり、気持ちも楽しくなり、町も元気に
なるのではないかと思いました」

「どんな曲を歌われましたか?また伴奏はどんな楽器?」
「アコーデオン、ピアノ、クラリネット、ギター、サックス等、
曲は、40年代の曲が多く、青い山脈、いい日旅立ち、
学生街の喫茶店、川の流れのように、高校3年生等
休憩10分を入れて2時間歌い続けました」

「みなさんの感想はいかがでしたか?」
「ここにアンケートがあります。いくつか紹介しますと、
『本当にお腹の底から大きな声で歌ったので、体の中の
もやもやが無くなりスッキリしました』
『次から次になつかしい歌が続き、青春時代の甘くて苦い思い出が
よみがえって来て涙が出ました』
又、次回も参加したいと答えられた人が95パーセントもいらっしゃいました」

「次回開催はいつですか?」
「まだ決まっていませんが、3ヵ月後ぐらいにと思っております」

私は、『自分のような音痴でもみんなに隠れて大声で歌いたい』と
次回の参加を決意しました。(迷惑かもしれませんが)
こんなイベントが各地で広がっていけば楽しく認知予防にもなると
思いました。

取材拒否の店に『母心』が取材で来店
2014/3/14(金) 午後 4:20
3月7日午後4時30分から北日本放送テレビ
『オカンの味を巡る旅』で、カレーショップジンジンが
放映されました。
『母心』は、日本髪で着物を着た女装の『オカン』と
相方は普通の衣裳のコメディアンです。
最近は『笑点』にも出演し全国デビューしています。

私は、19年間のラジオ番組内でもほとんど自分の店の
紹介をしないぐらいの『取材拒否』の店です。
しかし、
今回、北日本放送から「お願いします。お願いします。
同じ北日本放送ですから」と言われて渋々受けました。

2月21日午前10時30分収録開始。
それまで満席のお客さんは、「テレビ!!やばい、やばい」と
逃げ出し、逃げ遅れた3人のお客さんは捕まり帰れませんでした。
しかし、この3人が問題でした。
母心のオカンが「この店のカレーはいかがですか?」と聞くと、
「何十年も来ているけどコーヒーしか飲んでないから、
カレーは美味いか不味いか判らない」
他のお客さんも「自分もコーヒーだけだから判らない」
もう一人のお客さんは「自分は一人暮らしだから、
たまにお持ち帰りカレーを買っていく。美味しいよ」と
言っていただいて助かりました。

「何を取材したいのですか?」と聞くと、
「ひね鶏の取材でひね鶏メニューを出している店の紹介です。
関澤さんのお店の『マダムチキンカレー』は何故マダムですか?」
「小矢部市には100万羽の鶏がいます。毎日毎日、玉子を生み続けています。
鶏が年寄りになって、あまり玉子を生めなくなると廃棄されます。
その名前が 『廃鶏』、『ひね鶏』です。
一生玉子を生み続けて最後の名前がこれでは可哀想だと思い、
最初は『熟女カレー』にしょうかと思いましたが、
いろいろ問題もあると言われ『マダムチキンカレー』にしました。
肉は、少し固いですが味があります熟女ですから」

収録が終わり、
『ひねたカレー、作るマスター、マダムキラー』と、ひねたオカンの
イラスト入りの恒例の色紙をいただきました。
あなたも、
熟女の『マダムチキンカレー』を一度食べてみてください。
熟女の虜になりハマルかも。

東北復興応援ミュージカル『ドリーム工場』
2014/3/8(土) 午後 4:34
今週のスタジオゲストは、
新生ふるさときゃら、プロデューサー『浅野 政季』さんでした。

「東北大震災からもう3年が過ぎようとしています。
復興はまだまだ進んでいません。それよりも怖い事は、
皆さんの『風化』だと思います。
このミュージカル『ドリーム工場』は、大震災の岩手県で
従業員20人の縫製工場が再建するまでの真実の物語です」

「プロデューサーとして苦労され事は?」
「ミュージカルをよりいいものにするため、何回も長期間泊まり込み
ムードを掴みました。また社長に会い様々な苦労話も聞きました」

「今まで全国何回ぐらい公演されましたか?」
「北は北海道から南は鹿児島まで50ヶ所ぐらい公演しています」

「お客さんの反応はいかがですか?」
「どこの会場も感動の嵐ですが、パンフレットの一部から、
『私も被災者です。初めは地震津波でゾッとしましたが、
良く地元の事を調べられている内容で感動しました。
『ブラボー!!!』心から拍手を送ります(53歳主婦)』等
沢山感動のコメントをいただいています」

「今月小矢部で公演がありますが詳しくお知らせ下さい」
「3月21日(金、祝) 開演6時より クロスランドおやべメーンホールで
公演されます。入場料は3000円です」

「この東北復興応援ミュージカルにかける思いは?」
「小矢部市にはゴールドウインをはじめ沢山の縫製関係の
工場があります。共通するところも沢山あり是非見てほしい。
それと、東北からのメッセージ『生きがい』を感じてください。
皆さんのご来場をお待ちしております」と、プロデューと言うより
ジューサーのように全ての思いをミックスして美味しくして
お客さんに提供する浅野さんでした。

新生ふるさときゃらのメンバーは、アルバイト禁止で全てをステージに
掛けています。
私も観に行くつもりです。

『長野オリンピックから16年白馬村の様変わり』
2014/3/1(土) 午後 5:52
『ソチオリンピック』も無事終わりました。
非常に賑わった祭りの後始末をどうするのか気になります。
そこで、
『長野オリンピック』から16年過ぎた長野県白馬村に
行ってきました。
2月17日、白馬村に着くと腰が抜けるほどビックリ!!
八方のスキー場も、レストランも、街中も、ホテルも、
9割が外国人。
一瞬『ここはどこの外国の町?』と思いました。
私の友人で白馬岩岳でペンション経営をしている
新田さんの案内で、和田野森界隈を取材しました。
あるホテルの支配人は「全室外国人のお客様です。
この周辺は、外国人の経営者が6割になりました」

「どうしてこんなに外国人のお客さんが多いのですか?」
「長野オリンピックが終わり、スキーブームも去り、
少子高齢化でスキー人口も減り危機的状況になりました。
そこで、外国に宣伝攻勢をかけ、
特に季節が反対のオーストラリアに重点的に攻勢をかけました。
すると、オーストリアにないパウダースノーとアルプスの
素晴らしさなどが口コミで広まり年々オーストラリアからの
お客さんが増えました」

「外国人のお客さんと日本人のお客さんの大きな違いは?」
「日本人のお客さんは数日ですが、外国人のお客さんは
数週間です。
それと最も大きな違いは、
日本人は1泊2食付。外国人は1泊朝食付です。
夜食は白馬の街中にシャトルバスで出かけて行きます。
そのため、白馬のすし屋、お好み焼き屋、食堂、カラオケ屋、
居酒屋など、大変な賑わいです。
これまでの日本のホテルや旅館は1泊2食付にし、
施設の中の、ラーメン屋、居酒屋、カラオケに案内して
街中にお客さんを出さなかった。
そのために、街中のお店がなくなり魅力のない町に
なり観光客が減ってきたと思います」

私は、数年前に有馬温泉に泊まった時、
宴会の後「有馬の町を歩きたい」とフロントで言うと
「屋台のラーメンしかないですよ」
「ここは、全国でも有名な温泉ですよそこが屋台ラーメンだけとは
信じられない。外に出ます」と言うとフロントは、
「本当に出られますか。今、警備員を呼んでカギを開けますから。
帰ってこられたらインターホンで知らせてください。カギ開けますから」
私達は、下駄の音をカランコロンと鳴らしながら坂道を降りていきました。
川のほとりに屋台のラーメン屋はありました。
本当にフロントの言うとおり屋台のラーメン屋だけでした。
実に失望したのと今後有馬温泉には来る事は無いと思いました。
今は、違っている事を祈ります。

銀メダリスト『竹内智香さん』と共に世界を転戦した谷山(中田)亜矢さん
2014/2/21(金) 午後 8:52
「智香さんおめでとう!!自分もテレビを見ながら身体を
ゆすっていました」と、うれしさを爆発させたのは、
谷山(中田)亜矢さんです。
亜矢さんは、竹内さんとジュニア時代からスノーボードで
世界中を転戦しました。
竹内さんは北海道旭川出身、亜矢さんは富山県小矢部市出身です。
「智香さんは、『自分』を持った人でした。『日本にいては絶対勝てない』と、
スイスのチームで練習していました。
好きな食べ物は判りませんが、酒は強いほうでした。
世界中を転戦していると、お金が掛かり二人でフランスパンを
かじっていた事もありました。
二人は、ほとんど化粧はしませんでしたが、骨折してもギブスして
滑っていました。
又、智香は休みの日クッキーを作ってくれる女らしいところもあります。
最後に、いままで殆ど注目されなかった女子スノーボードに、
ファンが増えて挑戦者が増えればいいと思います」

亜矢さんは、4年前に結婚されて来月2歳になる男の子と、
7月に生まれる予定のお子さんがいらっしゃいます。
「今年、息子はゲレンデデビューしました。自分のように
オリンピックを目指して欲しい」と、亜矢さんの目はメダルのように
輝いていました。

『南極探検旅行」』
2014/2/14(金) 午後 4:31
今週のスタジオゲストは、『南極探検旅行17日間』の
旅から帰られた、塚本さんと元井さんでした。

「塚本さん、元井さんは、なぜ南極に行こうと思われましたか?」
塚本さん「ほとんどの外国旅行は行きましたし、南極が
最後に残りました。3年ほど前から行こうと思っていましたが、
一緒に行く人がいなくて諦めていました。
ある会で元井さんと知り合い『南極に行きませんか』と聞くと
『自分も行きたいと思っていました』と返事をいただき、
夢がかないました」

「南極までどんなコースでどれくらいの時間が掛かるのですか?」
「成田からアルゼンチンに入り、最南端の町ウシュアイアまで
約35時間かかりました。そこから、南極まで耐氷船で2日間、
船酔いになりながら船旅をしてようやく上陸しました」

「船旅の間はパーティーでしたか?」
「南極探検ですから、南極セミナーで、動植物学、気象学、探検家の
講演があり、半分ほどは寝ていました」

「南極で一番感動された事は?」
元井さんは「小さな湾で鏡のような水面に南極大陸の白い山々映り、
景色が完全に反転して見えたときと、黒い小山が見えて双眼鏡を、
覗くと全部ペンギンでした。見渡すかぎりペンギンでした」
塚本さんは「自然の厳しさです。魚をペンギンが食べ、
ペンギンがアザラシに食い荒らされたり、アザラシがまた何者かの
食糧になったり、実際に見る機会が何度か有り、食物連鎖の厳しさでした」

「南極探検旅行17日の旅はいくらですか?」
「だいたい一日10万円ぐらいです」
「すると170万円ですか?」

局アナと私は、「時間とお金が無い」と意見が一致しました。
『南極より寒い想いでした』

『パリで30年間、料理とスィ―ツ修行されたカフェ』
2014/2/8(土) 午後 2:24
石川県かほく市、のと里山海道の県立看護大学インターで降りて、
看護大学前に『カフェ・マダム・ルロワ』があります。

このお店のオーナーシェフ (ルロワ・美砂子)さんは、
パリで30年間、料理とスィーツを修行され
故郷のかほく市に、昨年9月4日にオープンされました。
ご主人のパスカルさんは、イケ面のフランス人で料理人です。

2月3日、取材をかねてランチに行って来ました。
サラダの後に出てきたのは、『紫いものスープ』でした。
私は、今まで色々食べてきましたが『紫いものスープ』は
初めてでした。
そのスープは綺麗な紫色といい味も絶品で、思わず「お代わり」と
言いそうになりました。
バンケットも、美砂子さんが指導した友人のパン屋さんから仕入れて
いますが、これも非常に美味しいパンでした。
ケーキは、今世界的に有名な七尾市出身の(辻口ひろのぶ)さんと、
原宿店の立ち上げや、スィーツの指導をされました。
しかし、自分の目指すケーキを、みなさんに味わって欲しくて
自分の店をオープンされました。
「他に無い、これぞフランススィーツ!を目指しています」
そのケーキをいただくとパイのパイ生地から違っていました。

美砂子さんもパスカルさんもトッテモ気さくな人で
夫婦のフランス語を聞いているとパリの街角のカフェにいる錯覚を覚えました。
是非、あなたも体験してください。

『ペレットストーブとペレット工場』
2014/2/1(土) 午後 8:59
あなたは、ペレットストーブの便利さを知っていますか?
感覚的には灯油のファンヒーターと殆ど変わりません。

ペレットをストーブの上のタンクに入れてスイッチオンで点火します。
火の強弱は、タンクから燃焼室に落ちてくるペレットの量で調整します。
これもツマミで簡単に調整できます。
煙突は、ファンヒーターのように給排気管を室外に出し、ススもあまり出ません。
消火は、スイッチオフで出来ますし、灰も10キロのペレットでコーヒーカップ三分の一程です。
燃料代は、火の強弱によりますが灯油より2割は安くなり、ペレットの値段の変動はありません。

薪ストーブは皆さん憧れますが、薪の管理、火の管理、灰の管理、煙突の管理等大変です。
無精者の私には、とても出来ません。

ペレットは、間伐材や廃材などを乾燥させて三分の一に圧縮して
丸い鉛筆状にして五等分ぐらいにカットしたものです。
そのペレット工場を、野手組の小矢部工場に取材に行きました。
野手社長は、草刈十字軍の世話など長年、日本の森林の荒廃に悩みながら活動されていました。
そして、ペレットに出会い『これこそ循環型の自然エネルギーで地域経済にも貢献出来る』と
思いペレット作りに取り組みました。自然の木は約80パーセントの水分があり、
これを20パーセントの水分にするために、乾燥しすぎて焦がしたり、ペレットにならなかったり、
研究開発に毎月多額のお金が消えていきました。
去年の12月末ようやく、業務用の安いペレットも完成しました。
「これで、プールや温室、公共施設や発電所などにも供給できる。年間稼動が出来るようになりました。
ペレットが普及することによって、森林が管理され、雇用が生まれ、お金が地域で周り始める。
先進地のヨーロッパでは、ペレットをタンクローリで配達されています。
そこまで目指したい」

インタビュー中の野手社長の目は、ペレットの災のようにメラメラと燃えていました。
私は、富山県は自然エネルギーの宝庫だと思います。
雪のため年間通じて安定的な水量の水力発電、北海道に次ぐ地熱の地熱発電、
豊富な森林を生かしたバイオ発電などを活用して、日本一電気料金の安い県にすれば、
企業は殺到してきます。新しく雇用が生まれ、人口は増加に転じるでしょう。

『日本庭園の危機』
2014/1/25(土) 午後 2:38
今週のスタジオゲストは、富山県南砺市『雅環境造形』の河合裕子さんでした。
「最近、長年手入れされた庭木を切ってくれと、言う仕事が増えました。
長い月日、先代が自分の子供のよううに大切にされていた事を知っている私達は、
庭木をチェーンソーで切る時泣きながら切っています。
日本庭園はドンドン少なくなっています。仕事も少なくなっています」と河合さんは
言われました。

「それで新しく花をアート感覚で表現する『雅環境造形』を立ち上げられたのですか?」
「そのきっかけは、数年前の台風で大量の屋敷林が倒れました。
ただ燃やしたしまうのは、可哀想だと想い立体造形に使いそれに季節の花を飾りました。
それが評判になり、中山温泉の町並みや和倉温泉の賑わいづくりに参加しています。
この事業は、町の人々が参加して花を育てていくため愛着が出ます。
一生懸命育てて綺麗に咲くと、人に見て欲しくなり『ねえ、見て見て見に来て』となります。
花は人を育て町を育てると思います」

「花を育てる時の面白さは?]
「質問ですが、ある保育所で、日当たりがよく水もあり肥料もある花と、日当たりは少ないくじめじめした所と
どちらが綺麗な花を付けるでしょうか?」
「答えは、日当たりの少ない花でした。その違いは、園児が花に毎日毎日、『今日は元気?綺麗に咲いてね』と
声をかけてやった回数でした。
人間も花も関心をもって観てやることが大切です」

植物は、億年単位で成長してきました。まだまだ未知のところも沢山あります。

先祖代々の庭木を切る時、先祖も庭木も泣いていると思ってください。

「特殊詐欺さん電話して下さい。待っています」
2014/1/18(土) 午後 4:31
「特殊詐欺さん電話して下さい。ズート待っています」と言うのは、
私の知人のYさんです。
きっかけは、ある日電話に奥さんが出ると「奥さんこの度、健康食品の注文ありがとうございます。
注文の品物何時お送りしますか?」
奥さんが「健康食品は注文していませんけど」
すると相手は「奥さんそれは勘違いでしょう間違いなく注文を戴いております」
「注文していませんから電話切ります」
「もう発送の準備してしまいましたか駄目です。電話切られても又かけますよ」
その後一週間後又電話があり注文聞いた、注文していないで押し問答があり
一週間後又電話がありました。その時は奥さんが留守でYさんが電話に出ました。
「その健康食品は、何に効くの?あなたは使っているの?」
Yさんは、相手が電話を切らないよううに注意しながら色々聞きだしました。
そして、最後に「判った健康食品送ってくれ。留守がちだから隣の警察に送ってくれ」と
言うと驚いた事に、即座に「そうですね隣は警察ですね」と言った。
詐欺集団はパソコンを見ながら電話をかけている事がわかった。
最後は「散々長電話したので商品代4万円のところ12万円だ」と、捨て台詞を言って
電話は切れたそうです。

その後も投資詐欺や、ギャンブル必勝法などの電話が掛かってくると、
のらりくらりと相手をして色々聞きだすのを楽しみにしています。
警察でも『だまされたふり作戦』に協力を!!

昨年の富山県の特殊詐欺の被害額は4億5000万円。
全国では、約380億円。
これだけ稼ぐのに、十人前後の人件費と、借家代、電話代だけ?
儲かるから次々と新たな詐欺が生まれています。

『だまされたふり作戦』のつもりが『だまされた!!』に、ならない様に。

『明けてしまっておめでとうございます』
2014/1/11(土) 午後 9:04
今年初めてのゲストは、
北陸フィリピン協会会長の『エブリン高田』さんでした。
エブリンさんは、英語、タガログ語の通訳、プロ歌手の
かたわら日本とフィリピンとの懸け橋を目指し
様々なボランテアをされています。
9日のゲスト出演の時も「今、庄川中学校にいます。
迎えに来て欲しい」
「なぜ庄川中学校に?」
「フィリピンから来た子供の授業を、日本語からタガログ語に翻訳して教えています。
子供と一緒に教室で授業を受けるので疲れます」

放送では、最初にフィリピン民謡を歌っていただきました。
心を揺さぶる素晴らしい歌声でした。
8月には小矢部市で『フィリピン台風救援ボランテアコンサート』を
計画中です。

「エブリンさんは、日本に来られて25年ですが、日本に来られて一番
驚かれた事は?」
「銭湯です。女性が真っ裸で堂々と歩いているのを見てショックを受けて
倒れそうになりました。
フィリピンではシャワーが普通でパンティーを付けています」

「今後の活動は?」
「フィリピンは貧しいです。保険がないため一旦病気になると多額のお金が掛かります。
お金が無く死んでしまう人も沢山います。少しでも救うためにチャリテーでお金を集めて
私が直接持って行きます。そうしないと途中で抜かれて届かないからです。
去年の台風の災害地も殆ど手付かずです。
よろしくお願いします」

エブリンさんは、フィリピンのためならどこでも出かけて行かれます。
講演、コンサートをよろしくお願いします。

おすすめ記事

  1. 東京で活躍する『静物写真家』新明将太朗さん
  2. 雨の日は、美術館めぐり

関連記事

  1. 新春ゲスト ピアニスト奏者MONAMI
  2. ランタンの灯りは恋あかり
  3. 東京人が感じた、奥深い富山県
  4. Yahoo Blog 『ぬくーい話』 2019年過去ログ
  5. 女性アーテスト新春ゲスト
  6. OYABE お宝マルシェ
  7. 映画『ウエスト-サイド-ストーリー』
  8. ミュージカル映画”CATS”
PAGE TOP