田植えも終わり、水田が水を貯めキラキラ光っています。
小林さん、中島さんは農業体験はありますか?
小林アナ「実家は岡山県で商売をしていますから、農業体験は有りません」
中島アナ「私の実家の周りは、田んぼだらけでしたが、父は会社員だった
ので農業体験は、全くありません」
私が小中学生の頃は、よく農業の手伝いをさせられました。
田植えになると、水田に入り苗床から苗を取り苗カゴに入れて、
六角形の定規を転がして、苗の植える印の所に苗を植えて行きました。
田植えの時は、近所のお母さんや、若いお嫁さん、若い娘さん等が、
一列に並び腰を曲げて植えて行く姿は、それはそれは華やかでした。
女ばかりの為、会話はかなり際どくヒワイな話が出て、どっと笑ったり、
小中学生の私は、耳を澄まして聞いても分からない事だらけでしたが、
異常に興奮するガキでした。(笑)
田植えが終わると、苗が倒れていれば起こしたり、少ない所は苗を足したり、
田の雑草を取ったりします。
秋になると、鎌でザクザクとテンポ良く稲刈り、それを束ねて田んぼ一面に、
広げて干しました。しかし秋の天気は変わりやすく、突然のにわか雨で、
家族全員で慌ててかき集めるました。本当に昔の米作りは大変で、
米の字から、八十八の手がかかると言われました。
それが令和の時代になると、水田にはほとんど人がいません。
アラナガ農機で聞くと「農業機械は、どんどん大型化して、近い将来は
無人の機械が作業するでしょう。大型化すると個人では持てなくなり、
営農組合か農業法人だけになります。それが政府の狙いでも有ります」
又、農業従事者については、田悟農産さんは「農業従事者は、
平成12年に389万人いたのが、
平成31年には168万人になっている。約20年で120万人減少した。
最近は、田植えも変わってきて、
苗を植える時に肥料や農薬の粒剤も一緒入れる為、肥料や農薬の散布は無し。
稲の刈取りは大型のコンバインで、玄米はそのままライスタワーへ行く。
昔は、八十八の手が掛かっていたけど、今は八ぐらいかな。(笑)
その分、機械代と肥料代と農薬代でほとんど儲からなくなった」と嘆く。
昔のことわざに、『楽は苦の種、苦は楽の種』。水田に人はいなくなったが、
このことわざは変わらない。