79才の東京の作家の立山登山

オリンピックも残り4日になってしまいました。

オリンピックは、参加する事とに意義があると言われていますが、

今回の東京オリンピックには、殺人的な猛暑や、台風や、そして地震、

おまけにコロナまで参加して、記録にも記憶にも残る大会になました。

さて、私の長年の友人で原勝洋さんがいます。

原さんは今年79才で戦艦大和の研究家で、沢山の本の出版や雑誌に記事を

書いています。

その原さんが「今日の立山は雲ひとつ無く見事や、今日は吹雪が凄いね」等

地元の私より詳しいので聞くと「いつもライブカメラで見ているから」と

言われて、立山への憧れを感じていました。

そして「今年79才だから、最後の冒険旅行がしたい。立山アルペンルート

と、いつもライブカメラで見ている立山にも登りたい」と。

彼は早速、東京のスポーツ店で立山に登ると言うと店員さん「スゴイですね」

と言われて、店員さんの言われるままに買うと7万円が無くなり、

靴は関澤君とサイズが一緒で借りられて助かったと言っていました。

8月2日の朝7時に富山のホテルから立山駅に向かいケーブルで室堂へ、

そして、室堂から歩き始めたのが10時で『遅くとも午後3時頃まで帰って

来れるだろう。その後ナチュラリストの案内で、高山植物やみくにが池を

周ればいい』とスタートしました。

しかし、原さんは毎日の作家活動でほとんど座りっぱなしの生活で、

足の筋肉が少ない事を発見したので、ゆっくりゆっくり登り始め、

雪渓に来ると「生まれて初めて雪の上を歩く、雪を踏むとこんな音が

するんだ」と叫びながら歩き、途中から声も出なくなりヘロヘロにになり

ながら、一の越に着くと12時30分。

沢山の中高年の登山客が、一の越迄で帰る人が多かったので「私達も帰り

ますか?」と聞くと「人生最後の冒険旅行だから、行けるところまで行く」

流石、戦艦大和の研究家で日頃『戦艦大和の英霊が自分を突き動かしている』

と言っているだけあって根性が違う。

そして、一の越から3分の2ぐらいの目の前に頂上が見える所まで登った時、

「これ以上登ると、帰りの体力が無くなるかも知れない」と言うので、

勇気ある撤退で下山しました。

しかし、室堂からの最終バスが4時30分ですが、余裕で間に合うと

思っていましたが、時間はどんどん過ぎ、足が動かなくなり途中何度も

私が足を指すりながなんとか室堂に着くと、出発7分前でした。

原さんは「このギリギリが自分の人生と同じだ」と笑っていました。

 

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